ハラカミくんのこと

otomojamjam2011-07-29

ハラカミくんと初めて会ったのはいつだったのかな。6〜7年前くらいかな。場所は間違いなく京都の吉田屋料理店。僕らは呑み仲間で、そこには山本精一がいたり、高谷史郎がいたり、Sachiko Mがいたり、カヒミ・カリィや岡社長、竹村ノブカズがいたこともあったと思う。FMNの石𣘺さんやp-hourの田村さん、グルグル京都の高橋マキちゃんなんかも大抵いた。もちろん吉田屋の女将や、ご主人の小崎さんも。


僕らは互いのコンサートを見る機会、結構あったけど、呑みの席ではいつもほとんどバカ話を朝方までするだけで、一度も一緒に音楽をやることはなかったし、音楽の話もほとんどしなかったと思う。3月11日までは。


彼から突然電話が来たのは3月下旬、京都に来るときに会いたいって話だった。電話が来るのなんてほとんど初めてだったんじゃないかな。せっかくだから、オレの方からもKBS京都で収録してるJAMJAMラジオにゲストででてくれないかって話をして、それでもって3月31日に収録したものが、今でもポッドキャスト版聞く事ができる。そうそう、いつもこんな感じで、いや、これ以上の毒舌で僕らは話していたんだった。
JAMJAMラジオ3月31日収録ポッドキャスト版→http://p.tl/3LUd


実はこの日は、他にもSachikoMやFMNサウンドファクリーの石橋さんとも番組を収録し、そのままみなで吉田屋に流れて、朝まで呑んでいる。放送にはほとんど出て来てないけど、話したのは震災のこと、そして福島の原発の事故のことだった。


それ以降、頻繁に連絡を取り合うようになった。それだけではなく、これまで共演なんて考えたこともなかった僕らは、彼の生前2度だけイレギュラーな形ではあるけど共演している。最初が5月8日。DOMMUNE FUKUSHIMA! の開局記念番組に郡山まで駆けつけてくれて、彼自身のセット以外にも、和合亮一の朗読する「詩の礫」で七尾旅人、ユザーン、私とともに、なんとピアノの即興演奏で参加。(ここで聴く事で来ます、もしかしたら現時点ではこれが彼の最後の音源かもしれない→http://www.pj-fukushima.jp/diy_details/diy_list_details001.html
さらに5月28日茨城笠間のフェス、センスオブワンダーで急遽ユザーン、ハラカミ、大友の3人でYMOテクノポリスをカバー。といってもユザーンはホルン、ハラカミくんはガットギターにカズー、オレはビブラスラップ(通称:与作)という編成の、なんともゆる〜〜いテクノポリスだったけど(特にオレのビブラスラップがひどい)、でも、今度福島で坂本龍一さんの前でやろうかと思ってたくらい、オレは好きな演奏だったのだ。


JAMJAMラジオにも出てくる話だけど、彼は広島の被爆2世だった。母親は爆心地から4kmのところにいたそうだ。そのこともあったのだろう。放送の中でも、福島の人達が被曝しているという理由で旅館に泊めてもらえなかった事件に怒っていたし、広島では4kmで生きてる人がいるんだから希望をもって・・・というような話もしていた。


先々週、急遽福島のフェスに出演する人達向けにやった木村真三博士の放射線講座にも駆けつけてくれた。普通に元気そうに見えたんだけど、このとき話したのが最後になってしまった。
「オレ、ステージでなんかやれっていってもさ、あんま出来る事無いしなにやるか決めてないけど、とにかく8月15日は絶対行くから。まあ、なんか演奏するかもだけど、やることなかったら客席でぐるぐる回りながらただただ叫びまくるから『ヨシヨシ〜〜』って(笑)。ヨシヨシもさ(彼はなぜかオレをそう呼ぶ)大変だと思うけど、あんま無理しないでさ、死ななように体とにかく気をつけて」
死なないように・・・って。
彼は自分の事のようにずっと心配してくれていたのだ、東北のことを、福島のことを。そして、なぜかオレのことも。泣けてきやがる。本当に泣けてきやがる。もう泣きたくないのに。



いつも仲間が死ぬと思う。オレも遅かれ早かれそっちに行くから、先に行って面白い場所見つけておいてって。安らかに眠らなくていいから、おもろい場所、見つけてセッションでもして打ち上げしながら待てってくれよなって。でも、今回はあっちに行く前に8月15日福島に来てほしいなあ。来てぐるぐる回りながら叫んでほしいなあ。せっかく放射線講座一緒に受けたんだからさ、もう一回福島に来て大風呂敷広げてるの見て欲しいなあ。駄目かな、無理かな。オレ、ヨシヨシって呼ばれるのすごい嫌だったけど、今回は多めに見るからさ。