今日はとうとう

otomojamjam2005-04-07

ご近所の無線LANにセキュリティがはいってしまった。ばれたかな(苦笑
おはようございます。SFは朝の9時半。
今日はボブ・オスタータグが教えている大学のクラスで講義のあとアスフォデルで仕事。ボブいつのまにか教授になっていた。で、今日からダウンタウンのホテルに移動。ナミィ家の皆さんお世話になりました〜。

U.C.DAVIS

ってことでユニバーシティ・オフ・カリフォルニア・デイヴィスのボブ・オスタータグ・クラスのレクチャーにいってまいりました。SFから車で2時間近く、結構遠かったけど、でも楽しかった〜。わたしのめちゃくちゃな英語に3時間も付き合ってくれた生徒の皆さん、お疲れ様。ボブは、80年代はニカラグアの反政府ゲリラとともに暮らしてブラックリストにも載る様なジャーナリストで、しかも、これまでまったく教壇になんか立ったこともないのに、突然教授の職がくるって、すげえ話だなあ。日本じゃ宇川くんの例以外聞いたこと無い。正義の旗印のもと、山のように赤の他人を平気で殺すくせに、こういうこともあるのが、アメリカってことなのかね。
ボブのキャリアはとっても面白くて、70年代から80年代初頭まではテープやエレクトロニクスを演奏してて、アンソニー・ブラックストンのオーケストラにはいったり、ジョン・ゾーンやフレッド・フリス等とともにNYの初期のダウンタウンのミュージックシーン音楽の最重要な担い手だったりしたのが、突然引退して、ニカラグアにジャーナリストとして渡航。ここでCIAだかFBIだか知らないけどブラックリストにのるわけですね。で、本なんかも出版したあと、ゲリラ達の活動に失望。80年代後半にアメリカに戻ってみると、8年前にはありえなかったサンプラーが数千ドルで購入できる時代に・・・そもそもサンプラーという言葉自体も、彼の渡航前にあhなかった・・・早々サンプラーを購入、ニカラグア時代の音源をサンプリングした作品や、ゲイカルチャーをテーマにした作品(彼自身もゲイです)、わたしとの共同作業、マイク・パットンとの作品なんかを精力的に出してきたのがこの十数年、わたしにとってはテープ時代から、常に指針になるような作品を作り続けている人で、2年前にケベックの映像参加ピエール・エベールと来日したときの作品はとっても感動しました。そんなわけで、彼のさそいなら喜んで。

夜はアスフォデルの社長室に閉じ込められて、ずっと音源のチェックを12時近くまで。疲れた〜。

ダウンタウンの少しだけ物騒な地域の安ホテルにもどってテレビを付けたらポープの葬式。何百万人もの敬虔な信者がバチカンに集まってる・・・って話は、とてもいい話に聞こえるけど、オレ、実はこの映像を見て、鳥肌がたつくらい怖かった。無論ヨハネさんが東欧革命を支持したこととか素晴らしかったと思うし、敬虔な信者は、人も殺さないような、いい人たちが多いのだってわかっているけど、そういうことではなくて、同じものを無条件に信じていて、それが正しいかどうかということに一点の疑いもない人たちの集団というのは、どんなものであれ、とっても恐ろしいのです。アレを見ていて、21世紀も戦争と殺戮はなくならないなって、思ってしまいました。ナム・ジュン・パイクの言葉を引用します。「救われた人よりも、殺された人のほうが多い・・・そいれが宗教です」