時差ぼけとイントナルモーリ

otomojamjam2005-06-08

いつも時差ぼけは帰国直後ではなくて数日あとにやってくる。はやい時間に眠くなったり、明け方におきてしまったり、長時間まとめて寝れなかったり。毎年数回の欧州フライトを10年以上くりかえしているのに、こればかりはちっとも慣れない。もうそういうもんだと思って、無駄な抵抗をしないことにしている。こんなときは本を読んでは眠くなるにかぎる。これって、とっても贅沢な時間だ。今は、アフォーダンスの本と、日本の美術史の本が読みたくなっている。


今日は昼間アメリカから日本の前衛音楽のことをリサーチにきているローリーさんと長時間インタビューを全て日本語で。ここしばらく英語のインタビューが多かったので、昨日もそうだったけど、母国語ってのは楽だなてのと同時に、英語で話すときにはシンプルにまとめられるのに、かえって日本語だと言葉のストレスがないぶんしゃべりすぎてしまうきらいも。
彼女は大学の図書館で、みたこともないような面白い日本の資料を沢山あつめていて、話はインタビューから大きく逸れてそういった資料の話にまで。今回持ってきていたなかで一番面白かったのは、1914年(大正4年)の美術新報にでていた岩井某のロンドンレポート。(某としたのは名前の表記が達筆の筆文字で、わたしには読めないのだ)なんとここにはロンドン初演の未来派の音楽のレポートが出ていて、まずは日本人でイントナルモーリ(未来派のつくった騒音楽器)の演奏を聴いている人がいたこと、そしてそのレポートがあることに驚愕。
彼のレポートによれば「自動車」「飛行機」「大都の夜明け」の3曲が不思議な暗箱の機械10台によって演奏されたとあり、作曲者の名前はでていないが、これは間違いなくルッソロの作品のロンドン初演のことだと思う。開演直後は聴衆は「ドッと笑ひ崩れた」とあって、ところが指揮者の真面目で熱心な態度、そして3曲目「大都の夜明け」のフィナーレの崇高さを前に、未来派を指示する若者達から終演後は熱心な拍手が・・・といったことが書かれていて、さらにはかなりつっこんだ批評までしている。曰く、この手の試みは一時的なもので音楽の本流に入って長く残るとは思えないが、しかしこうした試みは尊敬にあたいするし、未来派の試みの中では絵画や彫刻とくらべても「大都の夜明け」が最も面白い・・・といったふうに要約すると評価している。たしかに未来派の試みは、この時点では一時的なものに終わっているけれど、長い目でみれば、むしろ20世紀後半の音楽の主流の原石のような試みでもあったわけで、この人の評はある意味まとを得ている。
ところでこの未来派のつくったイントナルモーリなる騒音楽器は今はもう現存していない。彼らが賛美した戦争で、どこかに消えてしまったのだけれど、その後これを80年代に当時の多摩美術大学秋山邦晴教授のクラスが中心となって昔の資料をもとに復元楽器をつくっている。本物を見たことのある人が誰もいないので、どこまで復刻しえているかは評価できないが、わたしはそれを80年代後半に当時池袋にあった西武美術館でおこなわれた演奏会で聴いている。当時の印象は「なんて音の小さい楽器なんだろう」だった。ノイズミュージックや爆音のロックになれた耳にはその軽やかなアコースティックサウンドは、とても騒音と言えるようなものではなく、むしろ素敵な響きのかそけき音の楽器にすら聴こえて拍子抜けしたのをおぼえている。

さらに不思議な縁で、2002年には多摩美大の美術館で当時オフサイトをやっていた伊東篤宏が中心となって杉本拓、秋山徹次、中村としまる、Sachiko M,それにわたしの6人で、この楽器を演奏する機会を得た。ぼくらは、未来派の復刻などとは考えずに、そもそも騒音楽器とも考えずに、ちょっとチープなかわいい音の出る大袈裟な見た目のアコースティック楽器としてこれで曲をつくり演奏した。その演奏は「イントナルモーリオーケストラ」というCDになってでている。そこには戦争や機械文明、そして明るい未来を賛美した未来派の面影は一切なくて、明るい未来なんてどこにもない今を手探りでサバイバルしてるにも関わらず、まったく悲観的にはなってない僕等の2002年が、そのままおさめられていると思っている。


追記 上の大正時代のロンドンレポートを書いた人は岩村透という当時を代表する美術批評家だそうです→ローリーさんから丁寧な日本語でメールをいただきました。ローリーさんありがと。 それにしても、いくら達筆の筆文字とはいえ、岩村って文字が岩井にしか見えなくて、透って字も読めなかったオレって(苦笑・・・