ジャズ?

otomojamjam2005-05-17

夕方から雨。洗濯物がかわかない。ツアー中の洗濯は結構切実な問題なのだ。

今日は、19世紀につくられた最初のフィレンツェ駅跡地の巨大な会場でアーチー・シェップ、ラズウエゥル・ラッド、レジー・ワークマン、アンドリュー・シリルのクインテットを見る。明日僕等が演奏する会場と同じ場所だ。素晴らしいロケーション、素晴らしい建物。千人ほどがはいるコンサート会場の他にもギャラリー、ダンス・シアター、レストラン等いくつもの会場がある。
コンサートのほうは・・・・う〜〜ん、オレは彼等の60年代の演奏に本当に感動し大好きだったのだけれど、正直、コンサート中、なんとか好意的に彼等を見ようとしても、さっぱりいいと思えない自分がいて・・・いや、これ以上は書くまい。
ホテルにもどると、われらがONJEの全メンバーがやはりコンサートの途中でホテルにもどってきていて、小さな庭にあるカフェにたまっている。しばし皆で今日のコンサートについて真剣に話す。さらには、僕等の初日のライブについても。
こいうとき、素敵なメンバー達と一緒にバンドをやれることをほんとうに幸せだなって思う。


ぼくらがやっているのはジャズの名こそついているけれど、ジャズをやろうとしているのではなく、わたしが個人的にジャズという20世紀の音楽に対してリスペクトを表しているにすぎない。それぞれのメンバーはそれぞれの音楽をやれば、それでいいと思っていて、ジャズのように演奏する必要なんてまったくないと思っている。問題はそれがどうアンサンブルしていくかだと思っていて、すでに価値や方法の定まったやり方ではなく、もっと有機的な、かつ現実的なアンサンブルを状況に応じて常に更新しながら組んでいくような、そういう生き物のような音楽をわたしは考えていて、それはちょうど20世紀のある時期までのジャズがそういう音楽だったと思うのだ。エリントンやミンがズ、あるいはアイラーやドルフィーがそうであったように。ちょうど、僕等が日常の人間関係を構築していくときのように、それは状況の中で、いつでも更新されていくべきものだ。わたしの音楽にもしもジャズの何かがそこにあるとしたら、唯一この有機的なアンサンブルの部分なのだと思う。逆にすでに定まった方法だけで組まれるアンサンブルのジャズと呼ばれる音楽に、私は興味がもてない。