再び「バ  ング  ント展」

otomojamjam2005-08-25

再び「バ  ング  ント展」の話題です。さっきミクシーに飴屋さんが「跡展、を終えて」という日記をアップしていて、これから少しだけ抜粋します(本当は全部載せたいところですが)

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ボクは、決して、あの箱で24日間すごすことで、何か特別な何かになりたい、などとはツユほども考えていませんでした。
「ソク・シン・ ン」とは・・・決して「即身仏のようなものを目指したヒト」ではなく、生きたままヒトとなるヒト、この身をヒトとするヒト、身をもってヒトとなるヒト・・つまり、ただのヒトじゃん(笑)、ですから。
だから、今回のこの展示が、だいそれたインパクト・アート、ショック・アートとして、ほんの少しでも神話的?自虐的?破滅美学的?ニュアンスをまとってしまうことだけは、なんとしてでもさけたかった。
そのためには、絶対に、最後に拍子抜けされるほど、すごく元気な、すごく普通の姿で終了すること・・・を目標のひとつとしていました。
ゆえに、出る3日前から、北京ダック屋までのコースをイメージトレーニングをしながら箱の中で歩く練習もしてましたし、当然、8キロほど痩せはしましたが、なるべく悲壮感のしないよう、Tシャツも着替えて、体もアルコールでよく拭いていました。

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この展示がはじまる前、わたしは飴屋さんがやろうとしている行為を、ついつい「パンク」とか「ノイズ」にたとえて、ここに書いてしまいました。でも、今こうして終わってみると、「パンク」とも「ノイズ」とも違うなって。もちろんそうしたものを通過してきたであろう人間がやることのような気はするのですが、でも、そうしたものより、もっと切実に、今の僕等(とあえて書きますが)のリアリティを正面から受けているような気がしています。

わたしが今一番怖いなと思うのは、なにかが神になることです。その神に人々が感動し心を動かされついていくこと・・・これが一番恐ろしい。






おなじミクシーの中の面識の無いMさん(仮名)の日記のなかで、この方と飴屋さんのやりとりを発見しました。壁一面の椹木野衣さんのテクストにつけられた触るとわたしの作品「 ミ ヨ」の音が出るジャッグ「ヘッ  ォン」について書いたくだりです。これもちょっと一部抜粋します。

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Mさんの日記(抜粋)
・・・ただ一番高い位置にあったジャックには手がとどかず…背伸びしても指先かすりもせず…普通の身長の人(誰)専用かょ、と一瞬落ちましたが…そもそも人によって聞く音が違うことに意味があるハズということにして一人で平和解決。・・・


飴屋さんのコメント
うん。僕らのスタッフにも150センチ以下の女子もいるので、穴をどの高さまでにするかは、考えさせられた部分のひとつでした。
結局どんなコミュニケーションも、かならず一定、誰かを排除してしまいますよね・・。高さは低さを排除し、日本語は多言語を排除し、1200円も誰かを排除し、静寂は会話を排除し・・視覚は盲目を排除し・・
でも、そこで、母親の金銭と高さに抱っこされて穴に触った赤ちゃんもいるように・・・
また、あのシステムは他者の体を伝わっても音が聞こえますから、友人や、勇気を出して他のお客さんに頼んだり・・・
でも他者の体を通過することで、音は変質したり、場合によっては、他者に体を貸したせいで、自分のヘッオンからは音が抜けちゃったり・・・
そういうのも含めて、ということで。
そして、もちろん、あきらめる、捨てる・・というのもまたあり、だろうしね。


Mさんの返信(抜粋)
排除。よいのです。みんなにイコールではない。そこに真実があるように感じます。
音符の代わりに、私だけに用意された休符がそこにあった、そんな捉え方をしています。

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「音符の代わりに、私だけに用意された休符」って、なんて素敵な表現なんだろう。

この話、実際に会場に行った方じゃないと、わかりにくいかもしれないですね。写真をつけておきますが、椹木野衣さんのテクストの文字が欠けているところにヘッドフォンジャックがいくつもあって、会場に設置してある特殊なヘッドフォンをかけながら、このジャックにさわると、ランダムに「 ミ ヨ」の音が流れてくるんです。こんなかんじ。

これも、ごめんなさい、ミクシー内の写真無断転載しちゃいました。

上のほうの手の届かないジャックは、この写真よりもさらに上の、文字の一番高い部分あたりにあるジャックのことです。


「 ミ ヨ」は君が代のメロディをはずして、雅楽での伴奏部分をモチーフに、笙で演奏してもらったものに、サイン波を加えた作品ですが、ここの展示ではさらにバグのようなノイズやテレビやラジオ、警察無線なんかの音が混信するようにはいってきています。実はこのバグで使われている音の多くが、かつてわたしがやっていたバンド「Ground-Zero」で使っていた音源です。当時わたしはこの音源にサンプリングウィルスと名づけていました。このバンドの解散以降、ほとんど封印してきた音を、ここではあえて使いました。と同時に、解散以降、わたしの表現の根幹にくるようになったサイン波、位相をづらした音、接触不良音もここに混在させました。
このこと、実は、自分にとってはものすごく重要な出来事だってことに、徐々に気づきだしています。その重要さは、単に自分自身の個人的な音楽的な経歴の上でのことではなくて、上に抜粋して載せたように、わたしではない人たちの手によって作品が受け取りされていくなかで、異なるコンテクストの中におかれていくなかで、見えてくるような事柄におもえます。
それは
「音符の代わりに、私だけに用意された休符」のような豊かな受け取り方をしてくれる人たちによって、
あるいは
「他者の体を通過することで、音は変質したり、場合によっては、他者に体を貸したせいで、自分のヘッオンからは音が抜けちゃったり・・・」といったような、人の意思とは関係のない、まるで遊びにも変換できるようなオモチャのような機械のバグにによって、 解き放たれていく何かなのかもしれません。
自分の作った物ですら、自分で全てを把握しているわけではないんですよね。




昨日は佳村さんと9月のライブのリハ。で、今日はMOSTのリハ。