知的障害者とのワークショップ in 神戸 その2

otomojamjam2005-11-07

ワークショップ見学の2回目。


今回は楽器をつかっていたこともあって、前回と違いかなりいろいろなことが、わたしなりに見えてきて、とっても面白かった。

今回参加のうち2人の子が、ひとりはシンセのスイッチに,もうひとりがバイオリンに、あきらかに尋常じゃない興味をもっていて、しかも非常に面白い演奏をしていたのだ。

これをたとえば 、即興演奏の文脈で読み取ろうとしたり、その文脈で共演しても、なんか違うんじゃないかなって気がした。 そうじゃなくて、たとえば、シンセに興味をもった子にとっては、即興で音楽をやることではなくて、スイッチのオンオフと音の連動への興味こそが重要だったんじゃないかな。


これは、オレがそうだからすごく良くわかる。
そうそう、それ、オレもそれ好きなんだよって感じで。


だから、彼と、即興演奏で対応しようと、したスタッフをみていて、う〜ん、それ、違うかも・・・とも思ってしまった。

オレだったら彼とバンドを組む。それならありだ・・・と思ってしまった。

それならきっと面白いことが出来る。




ワークショップ全体については、まずは、参加者より、スタッフの人数か多くて、そのスタッフが、みな即興演奏をしていることに、どうにもバランスの悪さを感じてしまった。
このへん課題だと思うなあ。



ただ全員がトーンチャイムという単音の音程の出るベルのような楽器を持って、会場中を歩き出した瞬間は、ぞくぞくするくらい面白かった。
でも、この面白さ、知的障害者の参加者とわかちあえたのだろうか・・・とも思うのだ。
うがった見方をすれば、オレは、そういうものを楽しみにできる音楽の専門家だから、楽しいと思っただけかもしれなくて、 彼等と同じ価値観を共有できたかどうかは、今の時点では、謎のままなのだ。


わたしがワークショップをやるときには、「即興演奏」・・・といったものはキーワードにせずに、 彼等とバンドをやる・・・って方向にしたいなと、今回はかなりの確信をもって
そう思った。 そのほうが、オレの参加意味もある。



今回のワークショップでは即興演奏というのが、とても大きなウェイトをしめている。それはそれで良い。

ただ

即興でやれば、なにかが見えてくる・・・ みたいな希望はオレ個人、とっくにもっていない。 むしろ即興とは、個人的には「生きる」とほぼ同義で、だから、すでに「生きている」のだから、その上で、よりよく「生きる」か、 あるいは、なにか面白いことをやることで、「楽しく生きる」・・・みたいなもう一段上の具体的な方向で、初めて「即興」も意味をもつんだろうなあと思っている。 ようするに、即興であることは当たり前でもあるのだ。 初めてシンセをいじるときに それが作曲などではなく、即興であるように。

たしかにわたしの出自はフリーとか即興とよばれるような音楽だった。でも、自分が短くはない、音楽人生の中で得た生き方とは、 即興だけをやることではなくて、たとえば、バンドを組んだり、映画音楽をやったり、 作曲をしたり、時に即興をやったりといったいろいろ異なる方法の中で、様々な人と、価値観を共有していくようなことだった。

そんななかで、即興だけが重要なのではなく、どう組織していけば、よりよく生きれるか・・・みたいな音楽のつくり方こそ重要かなってことが見えてきたりした。

だから、このワークショップでも 毎回同じメンバーが集まる以上は、ただ即興をやるのではなく、 なんらかのビッグバンドを作る・・・という方向が、今の自分には、彼等とつきあう一番正直な方法で、 かつ、面白そうだと思ったのだ。

作曲と即興ともつかないけど、どちらでもあるようなもん。そんなもんが出来るんじゃないかな。


とまあ、ちょっとネガティブなことも書いたが、こんなワークショップを継続している神戸大学の学生達のパワーには本当に頭がさがる思い。すごいことだと思う。オレも来年どうかかわれるのか、これからじっくり考えていきたい。




今回はゲストで千野秀一さんもきていた。千野さんとお話しするのは数年ぶり。今回にかぎらず、いつも非常に示唆に富む話をしてくれる。千野さんが、このワークショップの中でなにをするのかもとても楽しみ。


それから、来年ワークショップを一緒にやることになる森本アリくんもきていて、彼とも短い時間だったけどいろいろ話が出来た。アリくんと一緒になにかをやれるのも、とっても楽しみだ。