知的障害者とのワークショップ見学3回目(長文)

otomojamjam2005-11-28

昨日は神戸の知的障害者とのワークショップの見学の3回目。
前日の西部講堂の打ち上げづかれもあって30分ほど遅れて到着。


オレは来年1月から3月までの約2ヶ月間、神戸大学の大学院生達が主催する知的障害者のための音楽ワークショップにゲストリーダーという立場で呼ばれているのだ。とはいっても、そもそもオレは音楽の先生じゃないし、知的障害者と接したことすらない。最初はとても出来ないと辞退していたのだが、大学院生たちの説得にとうとう根負けする形で、受けることにした。とはいえ、まったく知らないことはいきなり出来るわけがない。年内は千野秀一さん等が何度かゲスト講師で参加する関係もあって、まずは見学させてもらうところからはじめることにした。
この先はこの日記を読んでいる人は内容に記憶あるかもしれない。


9月の1回目の見学の時、わたしは正直いって、大学院生たちや音楽療法をのやっている人たちの指導方法に非常に疑問だった。そのときは障害児を自由にあそばせておいてそれを聴き手は音楽としてきけばいい・・・といったような内容に思えて、なんて失礼で、暴力的な考え方なんだろうって思ったのだ。それじゃ、極端なことを言えば、障害児に音楽の機会をあたえずに、聴き手として設定されているいわゆる健常者の、聴取力のみが音楽を可能にするという考え方ではないか。そんなことは、オレは絶対にやりたくない。
わたしは、こういうものがはっきりいって大嫌いだ。
最初から、障害者と健常者の間に線引きがはっきりあって、線の向こう側を、線のこっち側から見て(聴いて)、そこに音楽を発見するって考え方。わたしは、こういうのはアメリカ大陸を発見したと言っている西洋人の傲慢さ、アジアを西洋から開放したのは日本人だといっている傲慢さと、まったく変わらないように思えるのだ。だからブログにも不満を書いたし、主催者にも直接疑問をぶつけてみた。


野村誠さんのブログで、このことに対して、「結局大友さんは知的障害者を共演者としては
見れないからそういうことを書いているのだ・・・」というふうな批判をかかれたが、そのときは、たしかにそうなのかなと、自分自身でもおもったけど、冷静に考えると、これは、ある面を言い当てているけれど、でも間違っている。まず、わたしにとって、共演者を選ぶときに、健常者、障害者はまったく関係ない。というより、正確に言うと、障害者とか健常者というくくりと、音楽を一緒にやりたいかどうかという話は、関係ない。わたしが共演したいと思うかどうかは、個人に対してしかおもわないということだ。A君と共演したい。B君とはしたくない・・・というふうに思うことはあっても、たとえば福島出身の人とは共演したくないとか、手足の不自由な人と共演したい・・・などといったような音楽と関係のないくくりでものを考えることは、ほぼ100%ないからだ。だからあのとき障害者と共演したくないと思ったわけではない。でも、一方で、1回目の見学のときに、ここにいるこの人たちと音楽を作りたいなと思わなかったのもまた事実だった。それは知的障害者だけではなく、指導している人たちの演奏も含めオレは正直、まったく魅力を感じなかったという意味でだ。あ〜〜〜、つまんなそう、オレはここで何をすればいいの・・・が、ぶっちゃけた正直な感想だった。その意味で、野村くんの指摘は正しい。


2回目、10月末だったかな。このときはだいぶ様子が変わっていた。
あれ、もしかして面白いかもと思ったのだ。
あいかわらず、指導している学生たちの演奏の多くはなんて退屈でうざったいんだろうって思ったけど、ここの日記にもかいたとおり、ある参加者のシンセの演奏と、バイオリンの演奏はなにか、うまく表現がみつからないが、ものすごく面白かった。それから全員でやった
トーンチャイムという楽器の演奏も聴いているぶんには、ものすごく美しくて面白かった。
でもまだ疑問が残った。トーンチャイムの演奏をオレは面白いと感じているけど、でも、参加している障害者の人たちはどう思っているんだろうって。
正直、知的障害者とコミュニケーションした経験のないわたしには、彼等の考えていることがなかなかわからない。でも、それは多分慣れや経験の問題でもしかしたら、オレにもこのワークショップ、やれるかもしれないって思ったのだった。で、オレならバンドをつくる、そのほうが面白そうだし、オレがやる意味もあるかも・・・って思ったのが2回目。


で、今回3回目の見学。今回は、なんと、いつのまにか、バンドのようなものが出来ていてそれが結構面白かったのだ。ま、正直なところ、わたしが普段聴いているようなお金をとっている音楽の面白さとはちょっと違う。でも、たとえば以前子供たちとやった音楽ワークショップのときの面白さのようなものは確かにあるなって思った。学生の演奏も、あ、まえほどはうざったくないなって思えてきたりもした。オレは、こういう感じのものなら好きだ。
でも、そんなことより大きかったのは、オレのココロがぐらぐらと動いたのは参加している子から見学しているオレに声がかかったこと。なんだか知らないけど、どうもうれしそうに見ているオレが彼に見込まれたらしいのだ。
「君名前なんていうの?」
「おおともだよ」
「ぼくは○○。こんどコンサートやるときに、一緒にやってくれたらうれしいな。」
「え? オレなにやればいいの?」
「おどりでいいよ。ぼくがこうやってリズムを出すから」
といいかなら彼、手拍子でアフロっぽいビートを叩いてる。結構いいリズムしてるし。普通、踊りで参加してくれ・・・って人からいわれても、絶対いやなんだけど、なんだかうれしくて
「いいよ、よろしくね」
と言ってしまった。これ、もしかして数日前にあふりらんぽと共演したからかもしれない。
なんか、いっか、そんなことがあっても、ってめずらしく素直に思えたもだ。実は彼等は12月3日と4日に神戸の乾邸というところでコンサートのような発表会をやるのだ。
「あ、オレ3日はほかの仕事があるから駄目だけど、4日なら一緒にやれるよ」
「わかった、じゃ4日楽しみにしてるからね」


ワークショップ終了後、千野さんや学生たちとかなりの時間ディスカッション。
千野さんの含蓄のある言葉におもわずうなずく。オレにいったいなにが出来るのかわからないけれど、気持ちははじめて本格的にポジティブ。


え〜と、そんなわけで、12月4日 神戸の乾邸でオレは人前で踊るかもしれません。オレの踊りはひどいもんです。
でも、ま、いいか、こういうのも。