昨夜は東京でのライブ納めでした

otomojamjam2005-12-19

18日は新宿PITINNで芳垣安洋3daysの最終日、  Emergency!+板橋文夫というセットでした。いつものようにこのバンドではいちギタリストになって、ミンガスやローランドカーク、エリントンといったわたしの好きな、そして芳垣が愛するジャズの名曲を思う存分自由に演奏。


板橋さんとは10年ぶりの共演。実は板橋さんとは、ものすごい古い縁がありまして、多分1991年くらいかな、当時西荻にあったわたしの住んでいたアパートに来て映画音楽の打ち合わせをしたことがあったんです。といっても私と打ち合わせたのではなくて、スタン・ライという台湾の監督と板橋さんが、うちでビデオを見ながら音楽をどうしていくかなんて相談をしてたんです。当時のわたしのパートナーが香港映画の関係の仕事をしてた関係で、こんなことになったんですが、このときなぜか傍らには、わたしの大好きな「嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の楊徳昌エドワード・ヤン)監督とそのプロデューサーがいたり、ベースの井野信義さんがいたり、このときオレは、まだ映画音楽をやることになるなんて夢にも思ってもいなかった時期なんで、こんな汚い6畳間のアパートに突然有名人が沢山押しかけてきたのに驚いたの覚えています。この時期には部屋に8トラックのオープンレコーダーや機材もいっぱいあって、その中にはGround-Zeroの初期の録音やら最初のアルバムのwe insist?の音源なんかがいっぱい詰まっていたはず。う〜〜ん、なんてシュールな風景。このとき板橋さん達が見ていた映像が名作「暗恋桃花源」になるわけです。
「大昔機材にびっしり囲まれた大友さんのアパートいったけなあ、今もあそこに住んでるの」と板橋さん。覚えていてくれたんだ。
「いえいえ、あのアパート、あのあと雨漏りがひどくて、2階に行く階段も腐って落ちたりして、今もう無いですよ。でも、あのときは楽しかったですねえ。うきうきしながら見てました」


これが今年東京でのライブの仕事納め。終わったあとは皆で近くの蕎麦屋でかなり遅い時間まで、どっかんどっかん大笑いしながら大騒ぎしてしまいました。まわりのお客さん、おとな気なくてごめんなさ〜い。