神戸の知的障害児たちとのワークショップ その3

otomojamjam2006-02-05

昨日5日は神戸の知的障害児のワークショップ4回目。


午前10時集合。朝早く行くのは、夜行性のオレには本当につらい。こんなことを繰り返していたら確実に病気になる(苦笑。  この日記を読んでいる方でオレに仕事をオファーしようと思っている方、お願いですから午前中から仕事は入れないで〜。
もっとも、前日、京都の某料理屋で某プロデューサー達若干2名と悪巧み&雑談を深夜遅くまでしていたオレも悪いのだが。でも僕等の仕事は夜な夜な密かに深く進むものなのです。ほんと、ほんと、信じて〜〜〜。


え〜、早起きのことはともかく、このワークショップに行くのがとても楽しみになっているのは事実。なぜか、あの中にいると居心地がとてもいいのです。


昨日は、まずは子供達が集まる前にワークショップのスタッフとブッチ・モリスのコンダクションの簡易版のような自作曲をリハーサル。指揮はオレ。スタッフのほとんどはアマチュアだったりプロだったりのミュージシャンで即興演奏にも慣れた人たち。そんなわけでこれは問題なくうまくいく。みないい演奏家達だ。
こんな作品をやろうと思ったのは、ワークショップの最初に子供達を前に、僕等が普段やっている音楽をまずは思い切りやって、で、ライブで演奏を聴く面白さと同時に、子供達も参加したいな・・・という気持ちを起こさせたかったから。僕等がまずは楽しいところを見せなくちゃ。これは、ある子には多分すごい効果的で、ある子には全然通用しないのはいつものとおり。でも、僕等はひとつひとつ試していくしかない。大人が本気でこういうことをやるのを見るのは、短い時間なら、子供にとって、少なくともつまらないことではないはずだ。
で、この勢いを生かして、そのまま知的障害児もスタッフの大人も一緒にやれるようなオーケストラをやろうと思っていた。で、コンダクションよりはさらにシンプルで調性もある曲のようなものを書いていったのだけど、う〜〜〜ん、それは全然機能しなかった。
完全にオレの力不足。
でも、成果もあった。この曲が崩壊してしまった後、全体がノイズのような状態になっているときに、突然高校3年生の子が踊ったり指揮をしだしたりしたのだ。これがなんというか、実にさまになっている。かっこいいのだ。で、彼のダンスや指揮に子供たちが皆反応をしだしたのだ。オレの指揮ではほとんど動かない子達が、彼の体の動きに、充分ではないけれど、でもしっかり反応している。彼等は彼等流の方法で仕切られることを望んでいるのかもしれない。


このワークショップをやていて、つくづく思うのは、自由になんでもやればいい・・・というような考え方は、実はまったく通用しないということ。なんの前提もないところで、子供に「自由だよ」と言っても、なかなか、僕等大人が望むような、僕等が考えているような夢のようないわゆる「自由」と呼ばれるようなものは出てこないということだ。子供達に完全な自由を保障したら、音楽をやる以前に、皆で外にいって鬼ごっこをするか携帯でゲームをするのが落ちだ。だから僕等大人は、彼等が音楽をやるために、はっきりと彼等の自由を奪わなくてはならない。奴等の自由を奪いながら、彼等を音楽のステージに上げていかなくてはならないわけだ。で、最終的には音楽をする喜びを彼等が感じられるようにしなくてはならない。これはプロの教育者ではないオレにはほんとうにきつい。ワークショップを主催している学生達も、これが出来ているとはとても思えない。ぼくらはどこかで子供達の自由に期待しているところもあるような気がする。無論ぼくらは基本的には子供に自由に音楽をやってほしいと思っている。でも彼らが音楽の中で自由になるためには、そういう設定を大人の側が注意深く、かつ巧妙にしなくてはならないということだろう。じゃないと彼等はすぐに鬼ごっこをしてしまう。
例えは違うかもしれないが、なぜかそんなことを考えていると、やっぱり思い出すのはデレク・ベイリーのことだ。即興演奏という概念を最初に世に提示した、オレからすれば20世紀音楽の最大の功労者の彼は「なんでもやっていい自由」みたいな方法では一切演奏していない。むしろ「音楽と呼ばれるようなものなにもかもをやってはいけない不自由さ」みたいなものを自ら設定してその中でストイックに演奏をしてきているといっても過言ではないくらい。でも、この不自由な演奏の中に自由への希望みたいなものをオレ自身が感じたのも事実。自由に音楽をやることと、音楽の中から自由の何かを見つけていくこととは違う。ま、そういったレベルとは同じような、違うような話かもしれないが・・・。


自由の話はともかく、ここに来ていつも思うのは、オレの普段やっているような音楽や、あるいはオレの指揮は、彼等子供達の気持ちをグラグラ動かすには、あまりにもシャイすぎるのかもしれないってこと。オレには指揮をしてくれた高校生のように、全身を使って素敵なダンスを踊りながら指揮をするなんて、とてもとても出来ないもの。そういう方法で彼等を引っ張ることはオレには不可能。
でも、オレが無理して仕切ることばかり考えていたのが、そもそも間違いだったのかもしれない。彼のような全体を引っ張れる子供自身にオーケストラを仕切らせて、オレ等も等彼についていって、子供も大人も一緒に即興のオーケストラをやってみる・・・ってのは行けそうな気がする。このほうがずっと面白い。ぼくらの側が仕切らねばならないのは、そうしたことを自由にやれるような環境を整えること。そうして子供達をそうした音楽に向えるようにすることなのかもしれない。


それから昨日のもうひとつの成果は、指揮をやった子と一緒にバンドをやることが可能なのがわかったこと。彼がドラムセットをたたいて、でスタッフのジャンベ、ベース、シンセ、ギター(これはオレ)の5人でサイケロックのような音楽が可能・・・これもかなり面白い。
それから、オレが何人かの子とDUOをやりたくなったこと。この変化は自分の中ではとても大きなものだ。最初9月にこのワークショップに初めて見学にきたときに、ここには一緒に共演できる人はいないのかな・・・としか思えなかったのから考えるとえらい違い。出来ることなら全員とやりたいくらいだ。これは3月5日のジーベックでの発表会の時にぜひ試したい。



あ、そうそう実はワークショップがはじまる前、お昼休みにお母さん達が手製の料理を持ち寄って昼食会を開いてくれた。いや〜どの料理も実に美味しかった。こういう世界をまったく知らないオレは、なんだか、あの場でどうしていいかわからず、借りてきた置物のようになってましたが、でも皆の楽しそうな顔を見て楽しんでおりました。みなさんご馳走さま〜。