久々の日記なんで書くこと満載でーす

otomojamjam2006-04-23

ここのところ、あまりの忙しさに日記書けませんでした。って言っても誰も期待してないか。


書いてない間にあったのは、いくつかのライブ、いくつかの講義、そして映画の作業。これが全部同時進行で。きっとこの間にメールをくれた方には返信遅れていると思いますがあしからず。メールの多くは今年後半のライブやツアーについてと、この先、年内に控えているいくつかのリリースについて。今のことと数ヶ月先のことも同時進行で進んでいく。あまりの事態に2年前から欧州のほうは大きな仕事にかぎりマネージメントを専門の人(マツ・グスタフソンと同じマネージャー)にお願いしだしたけど、アメリカとの込み入った仕事のやりとりの一部も先週から代理人をたてることにした。これで多少は体も精神的にも楽になるといいのだが。なにしろ最近またちょっと頚椎にきていて腕が痛み出してる。体気をつけなくちゃね。




さて、ライブの報告から。先週から今週にかけてはスエーデンのマツ・グスタフソンのユニットの公演が3つ、それから東大でのディレク・ベイリー追悼のイベント。どの公演も、現時点でオレに出来るベストに近い内容だったと思う。今オレがずっと考えているのは、マツが考えていることと多分ある部分とても似ている。言葉があっているかどうか微妙だが「反原理主義」。ひとつの原理だけに収まらないような音楽・・・と一言で言ってしまえば簡単だけど、結局ONJOでやっているのも、あるいは、ここのところソロやなにかでやっているのもそういう方向の模索だ。でも、これってまだ正直、具体的にうまく言葉では書けないし、実際そういう音楽に完全になっているわけではない。ただ、なんとなくオレの直感はそう思っていて、そういう方向に行きたいと思っていて、でも、そういう音楽の前例があるわけではないので、いろいろ試しながら、好きなことをやってるって感じかな。前例がない・・・って書いたけど、でも、本当はそんな音楽は沢山あって、いくらでも前例はあるのかもとも思っている。ま、今は、あまり突き詰めずに、仕事の山を楽しくサバイバルしながらって感じで。



そうそう、AYA、YOSHIMI、Sachiko MUA、Lotta、素敵な女性達との仕事も本当に楽しかった。鶴見俊輔が、毎日の食卓を淡々と作ってきたような女性達のやりかたにこそ、理念だけでものをすすめてしまう男どもとちがって、これからの平和運動(社会変革)の可能性があるのではないか・・・というようなことを近年書いているけど、まったく同感。マツのやろうとしているバンドは、マツやオレがマッチョな演奏をしようと、彼女達のおかげで、どこかでとても女性的だ。これについてはいつもとってもおもしろい感想を書いてくれている友人のブログをいつものようにまた無断転載↓

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組織のコンセプトが、このバンドの成功を半ば決めていたのではないかと思う。
 ホモソーシャルなアンサンブルにありがちな、意識の死角から「構造」を浮かび上がらせる即興演奏とはまた違った音楽観が提示されていたように思った。
 「構造」の対称となることばは、ちょっと思いつかないので「それ」とでもいうしかない。
 笙野頼子の小説を読んでいても、「珍しいキノコ舞踏団」を見ていても「それ」は感じる。ダラダラ続くようで、非常に豊かな感じ。
 横断的な感覚にピタリと来るようなことばが思いつくといいんだけど。


 世間話程度のレベルでいうなら、ONJOってやっぱり男の世界なんだよな、などと思うわけだ。ONJOでは裏方に徹しているSachiko.Mが、このバンドでは明らかにのびのびと演奏しているのがわかった。他のユニットでは好むと好まざるを得ず、ディーバ扱いをされるUAも、いい意味で個性が封じ込められていたと思う。

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なんかわかるような気がする。だらだら続くようで豊かな感じ・・・ってなかなかいい表現だ。



大阪ではUAではなく山本精一が参加したけど、これも素晴らしかった。女性、男性ってあえて書いているのは、別に戸籍の上の話だけでもなく、ジェンダーだけのはなしでもなくて、そういう意味で言えば、敬愛するギタリスト山本精一はどこか女性的な演奏をするような気がしないでもない・・・いや男性的でも、女性的でもなくて、もっとなにか違うものかな。う〜〜〜ん、いい加減なことは書いちゃいかんな。これも世間話程度の範疇ってことで。
いずれにしろ、オレは彼の演奏がいつでもほとんど無条件に大好きだ。こんな音楽家はめずらしい。ほかにはデレク・ベイリーくらいかな。





でもって、そのデレク・ベイリーの追悼もかねた東大でのコンサート、先週の東大では無料で連日コンサートがあって、これ、初めて来る人にはとってもいいかもって思う反面、普段ライブのあがりで生活している僕等にとっては、こんなこと年中やられたらたまんね〜よ(苦笑・・・って思いも半分。でも500人もデレク・ベイリーの映像やら僕等のソロを聴きにきてくれるのは、素朴に本当にうれしい。来てくれたみなさん、それにこんな企画を実現してくれた企画のみなさん、


ありがとう。


あの日会場からベイリーの音楽とどういう関連で今日は演奏したのか・・・って質問が出て、それはみなさんで自由に考えてくださいって答えをしたけど、種あかしをすれは、オレはあの日は、素朴にベイリーとDUOをやっていたのでした。もちろんベイリーの音はないし、あたまの中でベイリーの演奏を想定することも一切なかった。ただ、今ならこういう方法で共演したかったなってだけで。案外つまらない答えでしょ。だからあの場では言えなかった。でも、オレには必要なものだったのだ。なにしろベイリーとの共演は、いつもオレのほうがどこかで緊張してしまって、おまけに、ステージ上でオレの音なんていらないよ、ベイリーのソロで充分だよ・・・って思ってしまって、満足に共演できたとは思ってなかったからだ。憧れすぎちゃうと、難しい。東大ではソロで演奏したけど、オレの中では初めて満足のいくDUOをやれたと思っている。



余談になるけど、ひとつ裏話を書いちゃうと、実現しなかった数年前の来日公演の企画では、ベイリーと杉本拓やSachiko Mとの共演の案が出ていた。これは本当に切実に聴いてみたかった。オレの中ではベイリーのやろうとしていたことを今の東京でやろうとしたら、この2人や中村としまるのやっていること以外には思いつかない。彼等は、まったく表面上も音楽的にも似てないけれど、でも根本的なところで、ベイリーと共通した問題意識と共通したクオリティを持ってると、オレはおもっているからだ。Sachiko MはAMMのジョン・ティルバリーとの共演盤があったり、中村としまるのほうはキース・ロウとの共演盤があるけど、やはりベイリーとの間で、どういったことが起こるのか、素朴に見てみたかった。




マツにしろ、彼のセットや東大で一緒になったジム・オルークにとっても、そしてわたしにとってもデレク・ベイリーがはじめたこと、彼がつづけてきたことのもつ意味は本当に大きい。どれだけ大きいかは、もう書き出したら一冊の本でも足りないくらい。でも、たったの3回共演し、何度か会ったりメールのやりとりをした程度のオレと違って、東大のイベントで最後に一緒に鼎談をしたベイリー本の翻訳者木幡和枝さんやジムにとってのデレクは、そんな音楽的な話だけではなく、プライベートな人間関係でも父親のような存在で(木幡さんに至っては彼の死の数日前まで一緒にいたほどだった)、彼等彼女等の悲しみは肉親を失った以上のものかもしれない。ステージで泣いてしまった2人や主催者とともにその後も居酒屋で遅くまで、わいわいと。それはちょうどお通夜の夜に久々にあった友人と泣き笑いしながら酒を飲むあの感じだった。それにしても久々に即興のソロギターをやったジムの演奏は本当に素晴らしくて、実はオレもステージの袖で泣いていた。





そのジムとは先週から今週にかけて、いろいろな場所で何度も会った。しかも会話の7割は日本語で。彼と日本語でコミュニケーションすることになるなんて、初めてアムスであった13年前には想像もしていなかった。その彼がもっとも敬愛する映画監督、実に35年ぶりに映画をとった足立正生監督の新作「幽閉者」が土曜日ついに完成した。音楽を担当したのはオレ、で、ここにも書いたように、ジムをはじめ、秋山徹次、SachikoM、飴屋法水等が演奏で参加。アッキーのブギーギター炸裂、拷問シーンのSachiko Mの音がすごすぎたり、ジムのギターが素晴らしかったり、飴屋さんの出す物音が随所でものすごい効果をだしています。先週はこの映像に音楽や台詞、効果音をつける作業が、1週間かけて歌舞伎町の裏手にあるスタジオで進行していたのだ。とにかく足立監督は35年のブランクをまったく感じさせないくらい作業がはやくてびっくり。もっとじっくりやりたいのに・・・とか、足立監督と同世代の音響の方たちと意見があわずに暗礁にのりあげるところでも、どんどん先にいってしまうので面くらってしまったけど、逆に荒っぽいざっくりしたものが出来たんじゃないかな。今の映画人とは非常に異なるアプローチにもかかわらず、ものすごく今を切り出していて、すごい作品だと思う。こんな歴史的な場面に立ちあえるなんて思ってもみなかった。でもそんな感傷に浸る暇もなく、監督とはすでに次の作品の音をどうするかを話しあい出していてる。それが実現すれば映画の音の作り方として画期的なおもしろいことが出来ると思うけどな。5,1とかサラウンドとか、映像は1つしかないのに音ばっかりマルチにするやりかたにほとんど興味もてないオレとしては、この先足立さんやジムたちと映画の作業を続けていけそうなのが、今回一番の収穫。もちろん今回のサントラも出す。出す気満々。こっちのほうはオレの自由にやらせてもらう。お楽しみにね。




そうそう、とても小さいスペースが6月からスタートできそうなビッグニュースや、ONJOのコンセプトの大きなヒントにもなった吉田屋料理店の本が出た話等々、書きたいこと沢山たまっているので、また明日以降に。