昭和からの贈り物

otomojamjam2006-12-20

一番近くの耳鼻科に行く。


夕方だってのに患者が全然いない。なんだかタイムマシーンで昭和50年代に来たかのような風景。受付には無表情の高齢の女性。
診療室に入ると背中の曲がったおじいさんが白衣を着て、頭に金属の丸い、穴の開いたやつ(あれなんて名前なんだろう)をつけてひとり、ほつんと下を向いて居眠りしているかのように、まるで置物のように座っている。生きているのだろうか?
「あの〜、お願いしたいんですけど」
「・・・・・」
あれ、やっぱ、置物? 人間?
「あの〜」
「・・・・あ、はいはい、そこに座って」
動いた。人間だ。
でも、その後、持とうとしたピンセットを2度ほど床に落として、そのたびに新しいピンセットを取り出したり、道具の先端になにかをはめるのがなかなかうまくいかず、何度もやりなおしたり。こころなしか手が震えているような気がするんだけど大丈夫だろうか?
耳の中を覗いてピンセットを入れながら
「あれ、とれねえなあ・・・」とか、ひとりごと言ってるし。
おいおい、耳だけは医療事故なんて嫌だぜ。


とまあ、ホラーのような緊張感を味わいながら、それでも後半はてきぱきとやってくれて検査と治療無事終了(多分)。鼻から耳に空気を通したりしたんだけど、オレ耳鼻科って初めて行くんだけどさ、こんなことするの? びっくりしたなあーもう(このネタ知ってる人はかなり古い。
置物先生によると、鼻と耳の気道が風邪でつまっていて、飛行機の気圧でやられているだけで、今のとこ水とか膿がたまる前に来たので大事ないとのこと。これがホントならいいけど、でも実際聴力のほうも80%くらいまで復活した。





帰国後、2冊の本がほぼ同時に送られてきた。


一冊は、映画AAの案内本とも言える「間章クロニクル」、通称AA本。1978年、阿部薫が死んだ3ヵ月後に32歳で亡くなった評論家間章(あいだあきら)を扱った本。映画AAには出てきていない、しかし本来なら間章を語る際にははずせないだろう・・・という人たちの発言が多数収録されている。AAを見た人はこの本を絶対に読むべきだ。牧野くんや五所さんといった注目の若手が文筆人に加わってるのもいい。生前、間さんが出していたミニコミ雑誌「モルグ」は、十代だったオレにとっては数少ない情報源で、ここからデレク・ベイリーやハン・ベニッンク、エバン・パーカーやステーブ・べレスフォード、ROVAサクスフォンカルテットのことなんかを知った。今でも生前最後の雑誌になってしまった78年末にでたモルグ2号を大切にもっている。この本は当時すみからすみまで熟読した。まさかそれから30年後に、自分が間章に関する映画に出ることになるなんて、無論思ってもいなかった。



もう一冊は「汎音楽論集/高柳昌行
解体的交感のカバーを意識した装丁は、佐々木暁の手によるもの。この本にはページがない。それだけで強烈な感覚を覚える。それ以上に、この本が送られてきたことに、多少の動揺を覚えている。
ここに出てくる文章も、わたしはほとんど熟読してきているものだ。80年代のあるとき、わたしは高柳昌行に関する文章やインタビューを50年代から80年代に至るまで、探せるだけ探してスクラップしたことがあって、そのスクラップは今も大切に持っている。そんなわけで、この本に出てくる70〜80%の文章はわたしにとってはなじみ深いものばかりなのだ。しかし、ページのない漆黒の装丁とともに、氏のパートナーである高柳道子氏のあとがきがついた本書は、そんなものをはるかに越えてわたしには強力すぎる。僭越な言い方になるかもしれないが、この本を目の前にしたら、勝負するか、無視してなかったことにするかしか出来ない。わたしは前者の道を歩みたいと思ってる。でも、その勝負は、戦争のような相手を否定する勝負ではなくて、もっと別のものであるべきだと思っている。それは自分の人生と音楽そのもので答えるしかないようなもので、相手に対するものではなく、自分自身に相対するような、そういうものだとおもっている。




耳鼻科の置物のような先生は、今週もう一回来てくださいと言っていたけど、オレはどうしようか迷っている。





追記
岸田今日子さんと、青島幸男さんがなくなられたとうニュース。
わたしにとっての岸田さんは70年代の「傷だらけの天使」、青島さんは60年代の「シャボン玉ホリデー」につきる。

なにか今日は変な日だ。