歌的なるものと・・・

ここのところ、わたしの中の非常に大きなテーマは「歌」的なるもの、あるいはメロディにあります。これは、この数年、正確にはこの四半世紀ずっと考え続けている「音響的」なあるいは「ノイズ的」な作品と、もう一方にあるジャズや即興の間に横たわるとても大きなテーマでもあります。あるいはこの10年以上やり続けてきた映画音楽の仕事のなかで、いつも正面から考えなくてはならなかった問題でもあります。映画の音は声と音楽とSE、つまりは声とノイズの間にグラデーションのようにSEがあったり、台詞があったり、メロディがあったり・・・この関係の中でどんな音を作っていくのかを常に考え続けるのが映画音楽家の作業だからです。
「歌」に最初に意識的になるきっかけは12年前、類まれな才能をもつシンガーPHEWとの出会いでした。彼女や山本精一、江藤直子、西村雄介、植村昌弘と1993年に組んだバンドNOVO TONO」がわたしにとってどれだけ大きかったことか。その後もわたしがJAZZをはじめた頃に、ジャズのシンガーではなくPHEWに参加してもらったのは、なによりも彼女こそが「歌」と「音響」の間をひょうひょうと行き来できる世界でも数少ないミューズだからです。(多くの、一見そういうことをしているように見えるヴォイス奏者達は世界中に沢山いますが、わたしはどうしてもその多くは好きになれませんでした。理由はわかりません。)そこから発展してきたのが「山下毅雄を斬る」という昭和のTVのテーマ曲を中心にリメイクしたアルバムでした。ここでわたしの中で、JAZZ 現代音楽、歌謡曲、ロック、そして音響的なるものへの最初のアプローチが見えてきました。そのいずれもに深く関わるのが歌です。ここに参加してくれたPhew,伊集加代子山本精一、チャーリィ・コウセイ、HACO,天鼓、遠藤賢司といった人たちは、わたしが本当に大好きでリスペクトしている数少ないシンガー達です。
その後も、音響的なものと歌をテーマとした作業は延々と続きます。実のところ今考えるとONJQですらこの流れで、当時参加してくれた菊地成孔はなによりもこのノイズと歌の間を自在に行き来できるシンガー的な存在を求めての起用だったのでは・・・と思えてきます。だからこそ、彼のあとはジョンブッチャーではなくて、やはり類まれな歌の資質をもつサックス奏者のアルフレッド・ハルトだったんだと思います。
この傾向は昨年あたりからさらに拍車がかかり、まだ作品の製作過程ですが「さがゆきplays中村八大」は、こうしたわたしの一連の作業と昭和歌謡の巨星中村八大氏の最後の専属歌手だったさがゆきさんとの共同作業の中からできあがりつつある非常に重要な作品になると思います(2枚組み渾身の大作になります)・・・といいつつも、そんな理屈はともかく、普通に楽しめる音楽になってるってこともわたしにとっては大切なところです。妥協とかレベルを落としてわかりやすくする・・・みたいな上から見た失礼で下品な方法ではなくて、全力で音楽を作ることでわかりやすくなるってことがこの場合重要です。
こうした出会いの中で、わたしの中でごちゃごちゃに混在して整理のつかなかった音響やノイズ、歌謡曲やジャズ、ロックといったものが、ますます未整理のまま、しかし、なんらかの必然性を持って、いろいろな姿をして力強く飛び出してきた・・・というのが今現在です。その一つが先日のPIT INNでのオーケストラ(ONJO)とその録音になり、また昨年からはじまる浜田真理子カヒミ・カリィとの作業につながっていってると、自分では思っています。奇しくも今回は、昨年出会ったまったく個性の異なる2人のシンガーとのコラボレーションが偶然にもほぼ同時期に同じ場所で実現することになったわけで、こういうことが重なるときは、単なる偶然ではなくて、なんらかの必然なんだと思うことにしてます。特に西部講堂での2日間は、羅針盤岸野雄一、レイハラカミ等がでることもあり、2日間通じて音響(あるいはノイズ)とメロディ(あるいは歌)にぴったりと焦点を定めた、今のわたしにとってはパーフェクトな企画になっています。
ONJOのこの先の動きとともに、今年に入ってから自分のやるべきことが鮮やかに見えてきた感じがしています。





東京公演はどちらもかなり早い時期のチケット完売が予想されますので、なるべく早めの予約購入をお勧めします。
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