記憶を参照するタイプの音楽聴取と・・・

otomojamjam2005-03-02

記憶を参照するタイプの音楽聴取の話のつづきです。歌とか声はこれにすごい関係があるんだろうなってことは容易に想像ついて、一昨日の話にも関係あるけど、そうすると、どこかで佐々木敦さんが書いてたように、オレがやりたいことは、多分この記憶と濃厚にこびりついた音楽と、そうではない、従来の記憶に依存するのではない音楽との両極にアクセスすることかもしれない。今オーケストラの編集をしながらそんなことをつらつら考えている。でもその両者が同時にいることってそもそも可能なのだろうか? オフサイトで行われていたような即興ですら、あっというまにノスタルジックな響きになってしまうもんなあ。それって、じゃ更新し続けるってこと?それとも神みたいなもんになるってこと? とかって思うと、そういうことはオレしたくないし・・・。従来の記憶に依存しない・・・ったって、そんな大それた状態自体、やれているわけじゃないし。この問題は保留のまま、作業は進む。


昨日のiPODの話わかりにくって友人から指摘うけたんですが、要するに、たとえば坂本九の音楽をiPODなりMP3に入れても、音質がかわったとしても、その音楽がなんなのかはちゃんと認識できるし、感動することだって出来て、音楽そのものの価値はそこなわれないけど、たとえばFilamnentとか、あるいはクセナキスのサイン波の作品とかを入れると、根本的に違うものになってしまうって話で、(もちろん違っても聴取は可能)、ここのとをよくよく考えると結構面白いなあって、今頃になって気づいたってことです。


今日は久々に頚椎や右腕の痛みがない。嬉しい。おまけに今年は花粉症もまだ来てない。3月になっても症状が出ないのは花粉症になって依頼初めて。今年飲んでる薬が体にあったのだろうか? 頚椎のほう、このままもうじきはじまる長いツアーの季節をのりきれればいいが・・・。