地獄

ご存知かもしれないけど、ミクシーというクローズドのネットがあって、そこで飴屋法水さんがブログを書いている。この人の言葉は示唆に富んでいて、いつもいつも、深く深く、考えさせられる。下に引用したのは、車の事故について書いた数日前の日記。長いけどそのまま。


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今朝の日記に車の運転のことを書いたけど。
僕は偉そうなのと、正義っぽいの、大ッキライだし・・・・・。僕を含め、誰しも、他者に迷惑をかけながら、自分の仕事や快楽を追及している。


誰かの自由は必ず誰かの迷惑だ。


仕方ないから、だから不完全な法で線引きなどして、なんとかおりあいをつけていく。仕事と遊びの差なんて明確にはつけられない。だから遊びやスピードの快楽で車に乗る人を責めることなど、できやしない。


直接の加害者だって間接の加害者だって加害者は加害者だ。間接なら責任が無いわけではない。どこまでが遊びでどこまでが仕事で・・・・どこまでが大真面目で、どこまでが悪ふざけで・・・そんな線引きなど、できやしない。


でも、どこかをすぎたら感触が、変わる。それだけのことだ。
明確な線引きができなくても、たとえ論理的には同じでも・・・そういう感触の差はどこかであるだろう。そして僕は、法や論理より、そういう感触にしたがいながら瞬間の判断をして行く・・・・。ということしか、たぶん、できない。


これ以上、なぐったら、やばいな。
そういう、あいまいな、感触みたいなもの。
なるたけ、それが、衰えませんように。


車はもちろん合法だ。タバコももちろん合法だ。タバコの被害がコレだけ言われる。でも、タバコのパッケージじゃなくて、車のボディにこそ、「車は人を死に至らしめる可能性があります」って印刷すべきじゃないのか? 


それを読みながら運転できるタフネスがあれば、もちろん運転していいのだ。それが快楽のためであれ、なんであれ。それが合法ってことだろう。


僕が、アリジゴクという生き物に惹かれる理由はいくつかあるのだが、最たるものは、その、名前なのかもしれない。


アリ・ジゴク。


自分の名前のはずなのに、そこにあるのは自分が食する相手の名・・・日々殺す相手の名前と、地獄という言葉である。


自分の生は、そのまま他者の、地獄だと。


それで言えば、僕は、牛地獄、ブタ地獄だ。
牛地獄のアメヤです。44才。牛年ですが。


他にも山ほどの何かの地獄が、僕の生だ。好きなものを浮かべよう。サクランボ地獄。カボチャ地獄。黒糖地獄。寒天地獄。何でもいい。おいしそう。そして殺人は人地獄。


それでも天国に行きたいと、人は願ってしまうのだけれど。

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オレの場合は、蕎麦地獄、うなぎ地獄、海老地獄・・・で、もしかして、いや多分、人地獄でもあるのかもしれない。