牛乳のふた

otomojamjam2006-02-22

昨日は都下羽村市にある武蔵野小学校の知的障害児達の音楽の時間の見学に。小学校にはいるのなんて、多分三十数年ぶり。


今回、突然小学校にいったのは、毎回この日記で書いていた神戸の知的障害児ワークショップの話を読んだ音楽療法士の吉村奈保子先生からきたメールが切っ掛け。
「一度見学にいらしたらどうですか」
非常にありがたい申し出だったんで都合をつけて行くことにした。彼女はかつて足立正生監督の映画の自主上映会なんかを大学時代にリアルタイムでやっていた方でもある。


教室についてみると黒板に
「ようこそ おおともよしひでさん」
の大きな文字とみんなで書いた絵。
あれれ、こっそり見学するつもりだったのに〜〜〜大袈裟なことになってる(汗
結局は子供達とお話をしたり、一緒に音楽をやったり、最後は給食も一緒に食べたり。給食も1972年に食べて以来。
音楽の時間も、給食の時間も、小学生のオレには本当に苦痛で辛い時間だったんだけど、まさか今になって見学にいくなんて思っても見なかった。




でもって、肝心の授業のほうですが、やっぱプロの手並みは見事、ものすごく参考になりました。子供達も本当に楽しそうに音楽やってるし。吉村先生とは授業の後も少しだけ話ができて、これも非常に参考になったのと、今神戸で、皆が試行錯誤しながらやっていること、多分大きくは間違っていない・・・という核心も。武蔵野小の先生のみんさん、いろいろありがとうございました。はやくから見学にいけばよかった。



「おおともさんも、子供の頃はカードを集めてた?」
これは、いかにもやんちゃな男の子からの質問
「オレのころはカードじゃなくて、メンコと、それに牛乳のふたをあつめてたよ」
そうだった。小学校の頃牛乳のふた集めがはやって、オレ全国の牛乳工場に手紙をだして、日本中の牛乳のふたを集めてたっけ。いまでも昭和40年代の千枚ほどの全国の貴重な牛乳のふたが、オレの本棚の奥においてある。小学校の頃から持っている唯一のもの。これもしかして貴重なコレクションなのだろうか?
「今は牛乳のふたなんてないよね」
と言ったとたんに
「あるよ〜」
と大反撃。今でも学校給食には牛乳瓶にふたのついた牛乳が出るんですね。しらなかった。
みなと一緒に食べた学校給食(はじめて食べる米飯給食だ)は、なんだか結構旨かった。いや、料理のレベルの話じゃない。楽しく皆で食べるご飯は旨いもんだ。
十数名の子供達は、みんな人懐っこくて、このままいたら情が移っちゃいそうでやばいくらい。
学校給食を旨いと思ったのも、音楽の授業が楽しく思えたのも今日が初めてだ。



帰り際、子供達が牛乳のふたをオレに持ってきてくれて
「これ、もっていっていいよ」
なんて言いやがる。まいった、まったく。


今もオレ机の上には、牛乳のにおいのこびりついたふたが数枚、行き場のないまま置かれている。