大失敗!

otomojamjam2006-04-26

昨日のベアーズ20周年の
大友良英20番勝負、ソロ20セット』。
20セットそれぞれの内容も考えてチャート譜をつくり、もうものすごくはりきってベアーズに行ってみたら


「あの〜、大友さん、今日の、言いにくいんですけど、20周年じゃなくて、19周年なんです・・・」




え・・・。





多分オレ、この瞬間、表情止まってたんじゃなかろか。もうメチャ恥ずかしいっちゅうの・・・。どこで20周年って勘違いしたんだろ。もしかして山本ちゃんがプレ20周年やから・・・って言ってたのが、いつのまにか20周年に摩り替わったのかも。



ま、でもいいや。ってことで20セット3時間やらせてもらいました。自分でも挑戦でしたが、しんどかったけど、面白かった。このやり方、今度他でもやろう。途中ワンセットだけ「良英の部屋」というコーナーで山本精一と対談を。彼からベアーズがはじまる経緯を聞かせてもらいました。いや〜、もう、ここには詳しく書かないけど、嘘みたいなおもしろい話。でもって、その中で、実はやまもっちゃんがオリジナル店長ではなく、その前が半年ほどあったことも発覚。そこから数えるとちょうど20年になることはなるらしい。そんなわけで、ま、ひとり勝手に20周年ってことで。




ところで20年前の1986年ってみんな何してた?


オレはそのころ26〜27歳。バイトしながら月7万の収入で、家具も立たないくらい斜めに傾いた木造で3つも部屋のある阿佐ヶ谷の長屋に住んでいて(そのうち一部屋はあまりに斜めでまったく使えなかった、家賃は3万円、向いにあったパン屋さんが、閉店後あまったパンをオレのとこによく持ってきてくれてた・・・涙、)、そこでへんな宅録をしながら、某フリーギタリストの教室にかよいつつアシスタントをしておりました。修行の日々だ(本当に修行してたのか、オイ・・・って声が聞こえてきそうだが)。その頃はいっていたサンバのアマチュアグループ「クルゼイロ・ド・スウル」が浅草で優勝や準優勝したのもたしか86,7、8年ってあたりかな。オレはスルドという大太鼓を担当、これでもそこそこちゃんと叩けたのだ。ノイズ、サンバ、修行と極貧の日々。今より10kほどは痩せていたかな、あはは。 そうそう、たしかJAZZ LIFE他の音楽ライターを始めたのもこのあたり。で、この年か翌年だったと思うけど、クリスチャン・マークレーとデビッド・モスが初来日。彼等との出会いは大きな転機になったなあ。なんか、なにやってもうまくいかなかったけど、それでも楽しい日々でした。もしかして、いつでも楽しく感じるのはオレの特技、それとも欠点?