KOREA REPORT 4

otomojamjam2006-05-16

ってことで、からっと初夏のような気候のソウルから、今日、じめっとした東京に帰ってきました。ソウルで昼ごはんを食べて、夜は吉祥寺で蕎麦。ツアーがいつもこんな近ければ本当に幸せ。




昨夜はソウル中心部のアートセンターNabiでわたしやSachiko Mのソロやレクチャー。会場はICCを何倍も小さくしたようなところ。でもってまるでICCの畠中さんのような、ここで唯一こういう音楽を理解してくれてる人ヒュ・スジュンさんが企画。畠中さんはおしゃれな紳士だけど、スジュンさんもおしゃれで、かつ長身の美人。うれしい。
で、日本と違ってレクチャーのときにも質問が飛び交う、飛び交う。もう終わり〜って言わないと、いつまでもつづくくらい質問攻め。せっかくこちらも気合をいれてしゃぺってるんだからこうでなくちゃね。今回、通訳をしてくれたのは美人のトモちゃん。なんだか今日は美人だらけで気分がいい。


終わったあとは、今回のコアメンバーのハンギル、サンテ、チョルギ、ジュニョン、それにNabiのスジュンさんやトモちゃん等とレポート1にもでてきたハンジュのお店YOGIGAで打ち上げ。小さいスペースだけど、ショップがあってライブができて、レストランにもなっていて、この界隈の連中の溜まり場でもある。場所はホンデ(弘大)。今日は佐藤さんがツアーにでていて留守なので、日本語抜きで、韓国語と英語だけの打ち上げ。


オレがはじめて韓国にいったのは、たしか1990年か91年だったとおもう。当時韓日の交流に力をいれていた千野秀一さんにくっついていったのだ。ちょうど香港との交流がはじまった頃だったので参考になると思ったからだ。ところが、ハングルをしゃべれる千野さんは、むこうの人たちといろいろやりあったりしながら交流しているのに、オレときたらだれとも話が出来ない。英語をしゃべる人ともほとんど出会わなくて、コンサートの手伝いをしている中に、アメリカ留学経験のあったデザイナーの女の子がいて、彼女と友達になれた以外は、ほとんどコミュニケーションが出来なくてショックを受けた記憶がある。僕等には共通の言葉がない・・・という事実。かつて2次大戦で敵対していた欧州の各国、たとえばフランスとドイツの間ではもう当たり前のようにミュージシャン同士がドイツ語やフランス語、英語をつかって交流しまくっていたのに、僕等の住んでいる東アジアでは、となりの国と話も出来ない。ミュージシャン同士の交流どころの話じゃない。千野さんはすげえやと思うと同時に、これは香港のようには簡単にいかないなと思ったのも事実。


あれから15年。いつのまにか打ち上げは皆英語。上手に英語を使う人もいれば、めちゃくちゃなブロークンも。オレの英語にしたってひどいもんで、ツアーの中でたたき上げた日本語訛りのブロークンもいいところだ。でもこれでも充分にコミュニケーションできる。
ソウル最後の夜は皆で、ハンジュのつくる無国籍な料理(韓国とメキシコ料理のミックスチャーだったりしてかなり旨い)とスペインの酒サングリアで、この先の希望につながるような話をわいわい大笑いしながら英語とハングルで。
なんだか動き出してる。