夢であいましょう

otomojamjam2006-09-02

数日振りに東京にもどってまいりました。
今は自分の小さなスタジオで、秋に発売になるアルバムのマスターをチェックしながらこれを書いております。



see you in a dreamツアーにお越しの皆さん、本当にありがとうございました。8月30日の京都公演で素晴らしい幕切れを迎えることが出来ました。いつもは、そういう話は一切信じないのですが、この日ばかりは八大さんか会場に来ていたように思います。


かつて一緒にステージに上がっていた敬愛する中村八大さんの曲を集めたアルバムをつくりたい・・・というさがゆきさんの人生をかけた素朴な夢の話を聞いてから数年、実際にこのプロジェクトが動き出したときに大変な労力とご迷惑をかけたのは、このCDを出してくれたFMNサウンドファクトリーの石橋さんでした。石橋さんが一人でやっている完全なインディーズレーベルで、ほとんど収益を度外視して制作してしまったのはわたしの責任で、そのつけは、かなりの金額を負ってくれた石橋さんだけでなく、通常では考えられないような金額でレコーディングやコンサートに駆けつけてくれたミュージシャン達や、手弁当で今回のコンサートを実現してくれた各地の主催者やスタッフのみなさんにも結果的にはまわることになってしまいました。それだけに、本当に素敵な音楽をコンサートを気持ちよく作ってくれた各地の主催者やスタッフやミュージシャンのみなさんにこころから感謝しています。この場を借りてあらためてお礼を言いたいと思います。
ありがとうございました。



石橋さんのブログにも出ていましたが、今回、名古屋公演に駆けつけてくれた八大さんの息子さんの中村力丸さんの言葉
 「客席で久しぶりに親子の会話をさせてもらってます。」
は、わたしにとっても、多分さがさんをはじめとした今回のメンバーみんなにとっても本当にうれしい言葉でした。なれない僕等の仕事振りに何よりも多くの労力をご迷惑をかけてしまった力丸さんからのこの言葉に、救われた思いがしました。
石橋さんの偽らざる気持ちは9月1日にアップされた彼の2つのブログの中に全て書かれています。
http://news.fmn.main.jp/?eid=420454#sequel
http://news.fmn.main.jp/?eid=420590#sequel 


石橋さんが書かれているとおり、わたしもこれで足掛け4年にわたるこのプロジェクトに区切りをつけることができました。
八大さんに特別な想いをづっと抱き続けていたさがさんにとっても、このアルバムは今後の音楽人生にとっても大きな財産になったと思います。
以前にも書きましたが、わたしにとって八大さんの音楽をやるということは、自分自身の昭和30〜40年代を見つめることでもありました。それは自分が育ってきた父や母がいる昭和のお茶の間と面と向かうことでもあります。大人になって覚えたイタリアンや本物の広東料理の味もいいですが、でも、子供の頃に食べた母の味や、近所の中華屋のラーメンだって立派においしい料理で、僕等の世代の食卓の主人公だったわけです。へんなたとえですが、わたしにとっての八大さんを代表するような昭和30〜40年代の歌謡曲にはそういう意味合いもあります。現代音楽やノイズ、フリージャズばかりがわたしにとっての音楽ではなく、まずは歌謡曲ありき、そこから自分の音楽はじまっています。ですから今回のプロジェクトはさがさんのアルバムを作っていながら、自分の父や母とも向き合う作業・・・みたいな感じで、多分この辺が、この時代と関わってきた今回の参加ミュージシャンそれぞれが抱える問題にもなったからこそ、独特のアンサンブルが生まれたんだとも思います。
その意味で親子の会話をしたのは力丸さんばかりでなく、僕等の世代共通の感覚だったかもしれません。
ただし、今回参加の渋谷さんだけは、昭和40年代には八大さんと同じ現場にいたわけで、当然僕等とはすこし違う感覚をもっていたようです。打ち上げの席で渋谷さんからでたこの辺の話は本当に興味深かった。



御託が長くなりました。もういちど、このプロジェクトに関わってくださったみなさん、本当にありがとうございました。




コンサートをやることはもう多分ありませんが、でも録音作品は永遠に残ります。
『see you in a dream』どうかこれからも末永くよろしく。









今日のギターはLIBETY MS-150 1968年製。
写真は京都公演から(主催の田村さんのページより拝借。わたしも歌ってます)