ソースカツ丼の思い出(ONJO@浅草)

otomojamjam2006-09-17

ONJOのコンサートにお越しの皆さん、ありがとうございます。



実は浅草で「ソースカツ丼」を食べるのを楽しみしていました。
といっても食べたのは今から20年もまえ。当時非常に世話になった方につれていってもらった所です。いかにうまかったかを皆に話して、リハ終了後、空腹のメンバー何人かとともに、さっそうと記憶のソースカツ丼屋の場所へ。


が・・・、
れれ・・・、


記憶の場所にない。あれ、ここじゃなかったっけ????
もう店がなくなってしまったのか、それとも場所を記憶違いしているのか。
そういや店の名前も覚えてないし、事前にネットとかで調べたわけでもないし。
メンバーみんな半笑いしながら怒っているじゃないの。
「こうなるんじゃないかと思ったよ〜もう」(メンバー数名の声)
あわわわ、ご、ごめん・・・。




え〜と、わたしの記憶なんてこんな程度のもんです。「アマンダの思い出」だって、「Out to lunch」だって、こんな程度の脳みその中からでてきたアイディアです。
でも、もし昨日の演奏が素晴らしいものになっていたとしたら、それはメンバー各人が、わたしの不完全な記憶、不完全な作曲やアレンジ、不完全なアイディアを手がかりに、自分自身の問題として、それぞれの音楽を演奏してくれているからだと思います。




よく、なぜジャズの編成の中に雅楽の楽器をいれるのか、それは雅楽を搾取してるだけじゃないか・・・という質問を受けます。この質問一度や二度じゃありません。でも、この問い、実は質問者自身の単純な音楽観(素朴すぎる音楽聴取能力)があぶり出てるんじゃなんじゃないかな・・・とも思うわけです。
ことはそんな単純な2項対立ではなりたっていません。これだけ人数があつまると、わたし自身にも租借できないくらいの複雑な出来事が、いろいろな場面で多面的に起こっている、そう思っています。


ジャズという名前はついているしジャズの現場で活動してるミュージシャンが多数いるのは事実ですが、ジャズの中にただ笙を加えているのではありません。笙の石川高さんは、本来の雅楽で使われている笙ではなく、現代の音楽の調律にあわせた笙を持ってきています。笙とのアンサンブルでわたしが多用してる高良久美子のヴァイブラフォンの演奏は、ほぼジャズとは無縁の語彙や音色を使っていますし、Sachiko Mのサイン波は、長い間石川さんと共演して来た中で、双方が独自に発見した響きのようなものを使っています。今までどこにもなかった本当に独特の響きです。これひとつとってもすでに雅楽でもジャズでもなく、彼等彼女等の独特の音楽です。そもそも石川高さん自身が、雅楽の手法だけではなく、信じられないくらい多彩な演奏をここではおこなってくれています。笙が雅楽、バンドはジャズ・・・みたいな状態ではけしってありません。


それでも、たしかにわたしは石川さんや高良さん、Sachiko Mの音楽を、いや彼等彼女等だけでなく参加メンバーの音楽を搾取しているのかもしれません。でも搾取というのはある力関係の中で抵抗できないような状態で、あるいはそういうことすら意識させないような状態にしておいて、なにかを掠め取るようなことを言うわけで、少なくともわたしとメンバーの間には搾取といえるような力関係は存在しないとわたし自身は思っています。
むしろ重要なのは、笙が雅楽とか、コントラバスはジャズとかいう話ではなく、石川高という人間が、水谷浩章という人間が音楽を作っているという話で、CD屋の棚のような大雑把なカテゴライズで音楽を作ったり聴いているのではないといことです。
別の言い方をすれば、たとえば同じ笙なら取替えがきくか・・・という話です。答えは明確で取替えはきかないのです。単に笙の音や手法が必要なのではなく、石川高が笙を使ってなにをやるのか、それに対して、わたしは、メンバーはどう答えるのか、考えるのか・・・という問題だとわたしは思っていて、雅楽とかジャズとか、そんな大きなくくりの話はわたしにはわからないし、そこでものを考えていないのです。


菊地成孔ONJQをやめたとき、かわりのサックス奏者はまったく思いつきませんでした。わたしは単にテナーの音がほしいのではなく、菊地の吹くテナーの音が好きだったからです。バンドにあたらしいサックス奏者アルフレッド・ハルトを迎えたときには、一から音楽そのものを立て直す、考え直す必要がありました。アルフレッドは菊地のかわりではないからです。菊地がいたときのやりかたはほとんど使えないわけで、後からはいったアルフレッドも苦労しただろうし、彼を迎えた僕等も、特に津上研太が苦労しました。僕等は何度真剣に、ほんとんど喧嘩のような状態になって話し合ったことか。でもそうやっていくなかで、今ではアルフレッドは欠かすことのできない僕等の仲間になっていきました。


カヒミさんか入ったときも同じです。ぼくらは彼女の小さな声にどう対応していくのか、これも一から考えました。いつものように自由な音量で演奏したら彼女の声はかき消されてしまいます。ツアーを繰り返す中で、モニターを最小限にする今の方法になってきたのは、彼女の参加が大きな要因です。


これだけ人数もいれば、嗜好も多彩で、相性のわるいメンバーだっているに違いありません。ONJOでは一緒にやってるけれど、普段双方がやってる音楽は今一わからない・・・というメンバーもいると思います。音楽論を言葉で戦わせたらまったくかみ合わないメンバーだっていると思います。でも僕等は一緒に演奏することができて、そこにわたしは希望のようなものを見ています。多分わたしにとって多人数のアンサンブルをやるというのはそういうことなんです。今回はここに敬愛する伊集加代さんが加わり、さらに大蔵雅恵さん、江崎将史さんもきてくれて、みんなの演奏も心なしかキラキラしてたような気がします。ひとりひとりのメンバーのことをかけないのは残念ですが、でも昨日は、一人一人の演奏がたまらないくらいキラキラしていたように思えます。



そうそうわすれてはいけません。企画してくれたP3の皆さん、キャロサンプのみなさん、ホールのみなさん、GOK SOUNDのみなさん、楽器運びまでやってくれた3Dの皆さん、ありがとうございました。昨日あれだけ音がクリアに、いい演奏が出来たのは、あの会場の器をつくってくれた主催の人たちやサウンドの近藤さんのおかげです。次はいつできるかな? これだけの規模のライブはわたしひとりじゃとても出来ません。また話がくるのを気長に待つことにします。







今日は浜田真理子さんや美音堂のみなさんとレコーディング終了記念の祝杯。信じられないくらい素晴らしいアルバムが出来ております。11月の発売をお楽しみに。






で、その後は円盤の芳垣安洋トークへ。この人がいなければ今のオレはいない・・・そう思ってます。