日常と音楽と

otomojamjam2007-08-06

ONJO 新宿PITINN2days お越しいただいた沢山の皆さん、本当にありがとうございました。
新生ONJO最初の試み、自分も含めて、吉とでるか凶と出るかもわからない試みをこれだけ注目をしてくださっていることに、まずは感謝の言葉を。


それからいくつかお詫びを。


まずは初日と2日目、演目を変えますと事前告知しておきながら、結局演目自体は同じものをやってしまいました。もし異なる曲目を期待してきていた方がいたら本当にごめんなさい。当初は違うものをやるつもりだったのですが、異なる編成で同じ曲をやるとどれだけ違うことが起こるかの方にわたしの関心がいってしまい、結果的にこうなってしまいました。ただ今回は即興の要素が非常に大きかったので、多分演奏そのものはまったく別のものになっていたと思います。ご理解いただければ幸いです。


もうひとつ、会場があまりに暑くて、かつ、ますますスタンディングで聴くような音楽ではない方向にONJOが現在行っていて、結果的にお客さんに身体的にかなりハードな状況を強いることになってしまいました。申し訳ない。
新宿PITINNはわたしを育ててくれたいわばホームグラウンドみたいなところです。黒田京子ORTで初出演して以来実に20年、なにか新しいことをやるときに、いつも世話になってきてる場所でもあります。単に場所だけではなく、お店のみなのあたたかさとお客さんとの距離、そしてここのハウスエンジニアの藤村さんを信頼してることも大きな理由です。現にONJQONJEONJOのすべてはここからはじまっています。出来ることなら今後もここからいろいろなことをやりたい・・・そう思っています。なので今回も無理を言って新生ONJOをPITINNでやらせてもらいました。ただ一方で、やはりなるべくなら椅子に座って聴いてほしいなという気持ちもあって、とはいえ、東京で赤字にならずに気軽に出来る適度な広さの場所がないのも悩みの種ではあるのです。次回10月のONJOはわたしの地元、スターパインズカフェであまりぎゅうぎゅうに詰めずにやる方向で考えています。


なにか新しいことをやりだすときは、あまり言葉になるような話は出てきません。それどころか、具体的な音の見取り図みたいなものもあるわけではありません。自分の中の直感のメーターのようなものをたよりにメンバーとともに試行錯誤をしていくしか方法はない・・・そんな感じです。それでも多少の海図になるようなキーワードが頭の中でぐるぐと回りだします。今回で言えばまずは「場所」と「配置」。これはPITINNのステージを見れば、わかりやすくそのことが出ていたと思いますが、まだまだ満足しているわけではありません。この先、なんとなく漠然ともう少し先のプランのようなものまで考えてはいます。それを実現するためには、もう少しだけ広い場所が必要かもしれません。あるいは狭いところでも出来るのかな? いずれにしろ場所や広さがかわると音楽もまったく変わってしまうような音楽、狭いところでは狭いところの、広い場所では広い場所の音楽になるような方法とでもいうか、そういうことをひとつ考えています。その上で、もう少し人が自由に出いりできるような組織方法みたいなものも漠然と考えています。さらに漠然としたことを言えば、そういった事が、ある中心的な理念には決して回収されずに、ではなにが音楽をささえるかといえば、個々人の日常生活の実感にもとづいた責任とマナーのようなものとでもいうか、ある種の個々人の信頼関係とストイックさにささえられつつ、その上で出てくる結果は娯楽として立派に機能してるようなものとでもいうか・・・う〜〜〜ん、なんだか言っててもらちがあかない・・・というか間違ってるかも。いや多分間違ってないか。どっちなんだ?まあ、やってる人間にも最初はいつもなんだかわからなくて、でも、なんだかこっちだろう・・・みたいなルーズな確信はあるのです。それを信じるしかない。しばらくガタガタすると思います。平和に物事が進行するだけではないかもしれません。でも、今なんだか見えかけているものがあって、それを生きて健康で体力がある間にやりたいと思っています。このさき多少わがままになるかもしれません。


多分この考え方の大きなきっかけになったのはだいぶ前になるけど鶴見俊輔さんと石橋正治郎さんが書いていた戦争に対する文章だったような気がしています。→http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/senso.html


雑誌ユリイカの対談のテーマを衣食住にしてもらったのも、今回出たONJOのライブ盤の長いライナーノートも、そして今回の試みもすべてここからつながっています。