水木さんとの遭遇

otomojamjam2007-08-14

先日放映のドラマ「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」の最初の打ち合せというか打診があったのは今年冒頭。ちょうど仙台で展示準備をしてる最中のことでした。で、具体的に作業がはじまったのは4月に入ってから。まず最初にやったのは、このドラマの戦場シーンの冒頭とラストにでてくる「くるわ唄」の採取でした。
“わたしはなんでこのような、つらいつとめを せにゃな〜らぬ〜♪”
ではじまる従軍慰安婦と兵隊が一緒に歌うこのくるわ唄は、原作の「総員玉砕せよ」でも物語全体を貫く主題ともいえる唄です。ところが膨大な資料を誇るNHKが各方面の人脈を使って調べてもこの唄の記録はまったくなく、メロディすらもわかりませんでした。こうなったら水木さん本人に歌ってもらうしかない。わたしの最初の仕事は、このドラマの重要な鍵を握るくるわ唄のメロディを水木さんから聞き出すことでした。

4月13日、NHK柳川強ディレクターとヴォーカリスト原みどりの3人で調布の水木プロへ。みどりちゃんを連れていったのは、その場で歌を正確に再現してくれる音感のよい歌手に来てほしかったのと、なにより美人で人当たりのよいみどりちゃんがいれば、水木さんも歌いやすいのではないかと踏んでのことした。

水木さんといえば、わたしにとっては、子供の頃からのスーパーヒーローというだけでなく、大人になってから読んだエッセイや漫画からも多大な影響をうけていて、もう会えるというだけで膝がくがくものであります。今までの人生で最も緊張したと言ってもいいくらいの初対面の瞬間。緊張してるのはオレだけじゃありません。おなじく水木ファンのみどりちゃんも大きな目をさらにくりくりさせながら緊張しまくってます。最初に玄関に出てきた水木さんの弟さんに向かっていきなり、大きな声で
「お会いできて光栄です」
おいおい、みどりちゃん、水木さんと顔似てるけど、でも、手か、手か、両方付いてるよ〜。


水木プロの応接室に通されると、すぐに奥からテレビや写真で何度もお見かけした水木さんが、本物の水木さんが娘さんとともに飄々と現れました。
柳川デレクター「水木さん、こちらが今回音楽を担当される大友さんです」
オレ「は、は、はじめまして、お、お、音楽を た・・・担当します大友です。よろしくお願いします(直立不動&大汗)」
水木さん「ほ〜う、あなたが音楽を」
と言いながらわたしを凝視しつつ徐々に顔を近づける水木さん。ほぼ30cmまで接近したところで水木さんの顔はぴたりと止まり、丸い目をさらに丸くして一言。
「音楽で食べてらっしゃる」
「はい〜???」
「で・・・・、ご収入はおいくらくらい?」



オレ「ぇっ・・・・・・・・・」



初対面でいきなりこの質問っすか・・・なんて突っ込みを入れるようなココロの余裕もなく、一同唖然です。何秒空白があっただろう。気持ちを持ち直す間もなく、とにかくオレ大汗かきながら答えました。
「いやもう、こんなです」(と手をクロールのように上下させる)


「ほう、漫画家もね、同じです、こうです」(水木さんも右手をクロールのように上下させる)
「ただ漫画家の場合、ほとんどはこうです」(水木さん、一度高く上げた腕を机の下まで持っていく)
「このまま沈んじゃうんです・・・・・・・・(長い空白)・・・・・・・・・・(ここで目を丸くして)で、浮き上がってこない。(自分自身の言葉を確認するように一回うなずく)・・・・あなたの場合は、音楽でずっと食べてらっしゃる?」
「はい、まあ、どうにか」
「ほ〜〜う、そうですか、(再び目を丸くして、しばらくわたしを見つめた後)で、今日は何しにここへ・・・」
「はい、水木さんの唄を聴きにまいりました」(ここだけ、なんだか上等兵に向かってしゃべる二等兵の口調で)
とまあ、こんな調子で会話が続くわけです。このニュアンス、多分水木さんの漫画の愛読者ならわかると思うんですが、水木漫画の中に出てくる独特の風変わりな人々の会話そのままというか、そのままのテンポ感とでもいうか、気付いてみたら、私自身もわずか1分間の会話で、水木漫画の中のさえない人間になってしまったかのような、不思議な気持ちです。


目的の唄のほう、最初は水木さんが歌ってくれるかどうか心配でしたが、みどりちゃんのおかげもあって、すんなりと歌ってくれました。ただ、水木さんは半分までしかメロディを覚えていませんでした。もう60年以上も前のことです。無理もありません。でも、何度か唄ってもらった中で、それでも唯一後半を思わせる部分が一度だけ顔を出して、そこから類推して、実際に当時あったお座敷唄やくるわ唄のパターンをあてはめつつ、みどりちゃんとともに、多分これだろうというメロディを再現したのがドラマの中で唄われた「くるわ唄」です。再現した唄を水木さんに聞いてもらっったり、歌謡考証の先生にも確認してもらい、恐らく間違いなだろうとの確証を得ました。最初の難関突破。
もうひとつの収穫は、水木さんの口から当時兵隊達が唄っていた「くるわ唄」の替え歌バージョンを聞くことができたことです。「親のため」の歌詞が「国のため」になっていたりするこの替え唄は、ドラマのシナリオにも生かされることになり、玉砕シーン直前に兵隊達が唄うくるわ唄の後半は、この替え歌のほうが歌われています。


「わたしはなんでこのような、つらいつとめをせにゃならぬ」の素朴な歌詞に込められた兵隊や従軍慰安婦達の心情を思うと、腹が立つやら、悲しいやらで、ラッシュ(未編集の映像)のDVDを見ながら音楽を作っていて、何度も何度も怒ったり泣いたり。ドラマに、それもラッシュの段階の映像にこんなに感情移入した経験は無論初めてです。と同時に、これをを見てると香川さんが何かをむしゃむしゃ食べているシーンがやたらあって、こちらもお腹ががすいてお腹がすいて、音楽を作っている最中も、ついついチャーハンが食べたくなったり・・・こんな経験も初めて。怒りと涙と食欲! 映像の力以上に、水木さんの背景重力みたいなもんが、そうさせたのかもしれません。
水木さんが書かれているとおり「総員玉砕せよ」の内容はほぼ水木さんの実体験に基づいたものです。それだけに、涙をそそるための音楽や、戦争シーンを演出するような音楽は絶対に書けない・・・最初から、そう強く思っていました。だったらどんな音楽をつけるのか。デレクターの柳川さんや音響の上温湯さんと繰り返された音楽打ち合わせの中でも、このことがいつも大きなテーマになりました。そんなこともあって、今まで以上に今回は悩みに悩みました。これだというアイディアが出るまでは、ずいぶん時間がかかったのですが、ある音楽的なアイディアが浮かんだのを切っ掛けにあとはものすごい勢いで書くことが出来ました。ドラマ的になにより救いになったのは、最後の最後、エンディングロールで本物の水木さんの写真が出てきて「水木しげる85歳」とテロップが打たれるシーンです。わたしはいつもこの水木さんの写真に泣けます。あの水木さんの顔の中に全てが入ってる。アイスクリームやかた焼そばを食べている水木さんの顔に勝るものはない。だから、ここの音楽は、わたしの水木さんへのラブレターにしよう。そう思いました。香川さん演じる水木さんのラストシーンから、このエンディングテーマにつながる流れこそが「くるわ唄」とともに、このドラマの音楽の肝になる・・・そう思って、あの音楽を書き始めました。あとで聞いた話ですが主演の香川照之さんも、水木さんがどうみてくれるのかを考えて演技した・・・というようなことをおっしゃっていたし、演出の柳川さんにしてもその思いはしかりだと思います。今回参加してくれたミュージシャン達もその思いは一緒で、水木さんが聴いてくれる、見てくれると思うだけで、なにか違う演奏になる・・・そんな感じの録音現場でした。


水木プロでの取材の帰り際、水木さんにわたしのCD「山下毅雄を斬る」をプレゼントしました。この中には水木さん原作作詞の「悪魔くん」のテーマ曲も入っています。(恐らく発売時にも、水木プロに送られているはずです)でも、水木さん、CDには全然興味なさそうで、それより、最後まで音楽家はどうやって収入を得ているのかってことと、僕等が持ってきたお菓子のほうに興味がいってたように見えました。多分あのCD封もあけられずに、どこかに埋もれてしまってるんだろうなあ。オレのCDはともかく、ドラマのほう、水木さんはどう見てくれたんだろうか。




今日は下北沢のスズナリでギターソロです。「鬼太郎が見た玉砕」のテーマ曲も演奏します。会場でお会いしましょう。





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