報告 シンガポールHadaka-Kプロジェクト

otomojamjam2007-09-15

女の子の足が美しすぎて目のやり場に困る。まいったぞシンガポール(汗 と戯言言ってる場合じゃない。早速シンガポールの報告を。



香港に頻繁に行き出した頃だから、今から15〜6年ほど前。当時香港初のインディペンデントレーベル「Sound Factry」をやていたヘンリー・クォックやデイクソン・ディーといつも話していたのは、いつかアジア各国のミュージシャンが自由に行き来できるようになったら、即興やノイズ、エレクトロ二クス、オルタナティブ・・・いろんな地域から音楽家が集まって、なにかを一緒に作れるようになったらいいな・・・みたいな話だった。オレは32歳、デイクソンは20歳そこそこ、ヘンリーも20代後半。皆若かっくて、まだ現実をそんなには見ていなくて、夢ばかりを語っていたのだ。一番キャリアのあったオレですら、欧州で国境を自由に越えて様々な音楽家が行き来しているさまを見て、僕等の足元でも、こういう風になればいいのにと思って夢を見ていたのだ。確かにアジアの情況は欧州ほど簡単じゃない。共通の言葉もないし、国境は海でへだているし、なにより東、東南アジアは、太平洋戦争と東西冷戦、革命なんかの影響をもろに受けていて、欧州のように人々が自由に行き来できる情況からは程遠かった。でもその欧州だってほんの半世紀前まではドイツ人とフランス人が殺し合いをしていたのだ。無理なことではない。とは言え僕等の力は、まだまだ到底およばないな・・・そう思っていた。これが1992年の現実。



あれから15年。シンガポールハノイジャカルタ、香港、ソウル、東京のミュージシャンが集まって、シンガポールで即興演奏をやっている・・・オレにはもうそれだけで、充分すぎる。なんだか夢の中にいるような気分。充分すぎるくらい幸せな出来事なのだ。まさかオレが生きている間にこんな情況がくるなんて。即興演奏と安易に書いてしまったけど、その言葉もなにか違う。たしかに僕等は即興演奏のようなことをしてるけど、欧州で広まったそれとは明らかに違う。いわゆる音響的即興というのとも違う。自分がやっていることの中で一番近いものを探すとしたら、今年になって再開したONJOのある部分とか、幽閉者のサントラのライブでやったものとかに、かすかに近い。でも同じものではない。見た目はもしかしたらキース・ロウのやってるMIMEOに近いかもしれないけど、出てくるサウンドはまったく違う。


プロジェクト名「HADAKA-K」 会場「ESPLANADE@シンガポール」 2007年9月12〜14日
Venzha Christiawan(ターンテーブル、ラップトップ、セルフメイドインストゥルメント)ジャカルタ
George Chua(ラップトップ)シンガポール
Dickson Dee(ターンテーブル、ラップトップ)香港
伊東篤宏(オプトロン)東京
Jin Sang Tae(自作ハードディスク)ソウル
大友良英(ターンテーブル、ギター)東京
Vu Nhat Tan(ノーインプットミキサー、エレクトロ二クス)ベトナム
Yuen Chee Wai(ピアノ、ラップトップ)シンガポール
Zai Kuning(歌、ギター)シンガポール





全員でひたすら即興演奏をした初日は、なんというか、もうただ音が壁になってるだけの散々なもので、オレ自身もほどんど自分の演奏は出来なかった。それでもオレは嬉しかった。なんだかみんなでとにかく何かを作ろうとしてもがきながらでも音を出しているのが嬉しくて、それだけで幸せだったのだ。多分、あのひどい演奏を聴いた数少ないお客さんに、この気持ちは伝わらなかっただろうなあ。でも、どんなにひどく聴こえていようと、かまわないと思った。いきなり出合って、素性もよく知らない9人が、きっちりと整ったいい演奏が出来たら、そっちのほうがおかしいもの。オレは素敵なカオスを心から楽しんだ。



初日の夜、演奏が終わったあと皆で話し合った。さすがに、これはまずいと皆思ったのだ。共通の言葉は英語。といってもネイティブで英語が使えるのはシンガポールの3人のみ。あとは結構使いこなしている人から片言までいろいろ。いずれにしろ、僕等アジア人には共通言語はない。クソ不愉快なアメリカの言葉だとしても英語でコミュニケーションするのが一番便利だ。アジア各国のエリートでもなんでもない一介のミュージシャン達が英語で音楽について話し合うなんて情況は20世紀には考えられなかった。みなが片言の英語やら、訛りの強い英語で、自分の意見を搾り出して議論をしてる。サウンドマンも加わって、ちょっとした激論にも。でも、それだけでも、またオレは幸せな気分。ええぞ、ええぞ、みんな、その調子、その調子。



で、まずは、丁寧に長方形にならんでいたステージ上の配置を半円形に換えて、モニタースピーカーをなくして、PAのメインスピーカーを後方に置いて、客席と同じ音を自分たちで聴きながら演奏する方法にまずは変更することにした。翌日はこの配置にして昼から再び、何度も演奏とディスカッションを繰り返す。静かに即興の歌をうたうZaiの存在がにわかに輝きだしてくる。
この日の晩の演奏は、オレにとっては、人生の中でも、そう簡単には味わえないような、素晴らしいものだった。見に来てくれたお客さんの中には、いろいろな意見があって賛否両論だったようだけど、オレにとっては、今までどこでも見たことも聴いたこともない事態がステージ上でおこりつつあるのを聴きながら、演奏しながら、大袈裟かもしれないけど奇跡がおこっているような感じだった。この独特の感じ、神戸でやった知的障害者達とのワークショップの発表会「音の海」のときに起こったあの感じ、あるいは、最近だと幽閉者のライブのときに味わった、あの感じ、なににも例えられないけど、でもなにか面白いことが起こっていて、確実になにか音楽が生まれている感じ。なにかが生まれる瞬間、これを感じたくて、音楽をやってるようなもんだ。そのなにかが起こったような気がしたのだ。多分ステージにいた人間は、みな多かれ少なかれそう思っていたんじゃないかな。打ち上げの時の幸せそうなみなの顔を見れば、それはすぐにわかる。現地のミュージシャンたちもくわわって深夜まで、僕等は音楽についての超まじめな議論に明け暮れる。
「いろいろな国からあつまったのはいいけど、なにか大切なものが欠けてないか? チーワイ」(チーワイは今回の主催者でこのプロジェクトのリーダー、長身男前の32歳、顔も声も身のこなしも大阪の梅田哲也にそっくり)
「そうだ! 男ばっかじゃないかチーワイ」
「だってシンガポールではスキャンルはご法度だもの、女性がはいったら、なにしでかすかわかったもんじゃないし」
「んなこたない、オレはジェントルマンだもーん」
「だったら女性5人で、男性4人にしたら?」
「ん、それって一人だけロンリーウーマンだ」
「いや、いやイスラム教徒が入れば2人取るから数は合う」
「おい・・・まてまて、だったら・・・・・・・・
とまあ、なんだかんだ言っても、どんなにまじめな演奏をしていようと、ミュージシャンと名のつく人種は世界中こんな程度のもんなんす。演奏が終わった僕等にまじめな話なんて期待してはいけません。そういうのが好きな人は家でユリイカとかワイヤーとか読んでいてください。



3日目は、2日目のようなミラクルは起こらなかった・・・演奏したみなはそう思っていたみたいだけど、でも、オレはそうでもないなと実は思ってる。2日目に起こったことは、僕等の目標とするような音楽の最初の扉が少しだけ開いた、ただそれだけの感動だったんだと思う。それだけでもすごいことだ。でも、僕等は早くもその先を見たくなっていたのだ。3日目は、少しだけ開いた扉の前で、初めて見える風景を前に、僕等はなにが出来るかを考え出したのだ。だからミラクルなんて起こるわけもない。待ってるのは現実なのだ。だから、オレはこの3日目の演奏が実は2日目以上に気にいってる。それは音楽としてはまだまだまったくの未完成のものかもしれない。でも、完成したもの、最初から言葉で説明できるようなもの、あるいはなにかのジャンルを守るとか、自分を守るため(自分を探すため)の表現みたいな保守的なものには全然興味がないし、そんなことより、人と人が顔をつき合わせて、互いの方法を尊重しながら何かを作っていくこと、オレにはそうした方法にしか今は希望がもてない。音楽が好きで、今も変わらず音楽を信じているのは音楽は一人でも作れるけど、でも、それ以上に大切で面白いのは音楽はアンサンブルによって生まれるものだから・・・とい一点にあるような気がしてる。だからこそこの3日目は2日目以上に大きな意味があると思ってる。それはみなが、扉の向こうにあるまだ見たことのない現実に向かいだしたってことでもあるのだ。



3日目が終わったあと、僕等は例によってくだらない話を連発する打ち上げの中で、来年、このプロジェクトを北京やジャカルタ、東京、あるいは欧州に持ってく話をはじめていた。続ける中で見えてくるものを僕等は見たくなったのだ。



写真1 会場前のカフェにて。左からリーダーのシンガポールのチーワイ(若干32歳、このプロジェクトが動かしたのは最年少の彼)、ひとりおいて、即興で歌い、ノイズも演奏する同じく地元のザイ(彼とは7年前のシンガポールでのフライングサーカスプロジェクト以来久々の再会、演奏も歌も非常に良くなっている)、キャップをかぶって後ろ向きなのは伊東篤宏、その奥のメガネは地元のDJスターでもあるジョージ。




写真2 楽屋に通じるエレベーターにて。香港のディクソン(15年前に夢を語りあった若造だったディクソンは今では中国のエクスペリメンタルミュージックの最重要人物だ、月末、北九州ビエンナーレにも来るのでお楽しみに)、ソウルのサンテ(彼とは先週会ったばかり)、伊東篤宏、ジョージ。



写真3 最終日の打ち上げをしたバーにてジャカルタのベンザ(彼かわいい上にファッショナブルで演奏もクール)、ベトナムのタン(彼はオーケストラの作曲なんかもする切れ者)、それから最年長48歳のオレ。若造には負けられない。



トップの写真はチーワイ