なんで6月3日の企画を

なんで6月3日の企画を・・・って話を書かねばならないのに、連日映画の曲作りにおわれてそれどころでは・・・。


ご存知の方も多いと思うが、わたしは北里義之の特に2000年前後の論考は、はっきりと嫌いだった。ライブに足をはこばないようなヤツが、みたこともないいわゆる音響という音楽に、ご大層な言葉を並べていわれもないいちゃもんをつけてる・・・そんなふうに思ったからだ。生で聴いてもないやつに、ごたごたいわれたくねえ・・・というおバカなミュージシャンのメンタリティ全開で、彼の書くことはまったく信用していなかった。ふざけるなと思っていた。
でも考えがかわったのは、mixiで毎日アップされる膨大な論考を目にしたときだった。あいかわらず、現場に来もしないで・・・という思いはある。でも、ここまで自分自身の日常と正面から戦っているなら、そんなものは些細なことだ。

北里義之の本『サウンドアナトミア』は、そのそも彼のこのmixiでのブログ、要するに日記がもとになっている。オレはこの日記の熱心な読者なのだ。最近でもここで展開された清水俊彦の論考は素晴らしく、これははっきりと戦後日本の文化史的な視点で彼がサウンドアナトミアの中で展開した高柳論とリンクするものだった。
そう、まずはこの本は、高柳昌行論として存在する。これが本の大きな骨格だ。音響やらフーコーやらに足をすくわれていては、この本の本当の面白さは見えてこない。すくなくともわたしはそう思っている。
北里は、高柳の創作を、まずは戦後日本の状況や思想から読み解こうとしている。ジャズ史でもなく、日本のジャズ史ですらなく、戦後日本の思想史・・・それは明治維新からつらなるものでもあるのだが・・・そうした大きな物語を持ち出さなくては、音楽からだけでは高柳の創作は読み解けない、少なくともわたしはそう思っていって、北里氏も多分そう考えているからこそのあの論考だったのだと思う。
さらにこの本にはいわゆる音響と呼ばれた音楽のことがSachiko Mや中村としまるを中心に語られている。こちらのほうは逆に、昭和の大きな物語ではなく、もっと個人的な物語、あるいは今現在を生きる現在進行形の身体といったものからの考察だ。わたし個人の見解を言えば、中村としまるやSachiko Mの活動は、本当の意味で国境から自由で(それまで日本にはそんな音楽家はひとりも存在しなかった・・・自由になろうとしたり、自由なふりをしてる人がいただけだ)その意味からも、昭和史のような物語から彼等を読み解くことは出来ない。ミニマルというのは単に音楽のことではなく、その立ち方、思想の問題で、彼等、彼女等は、たしかにそんな立ち方をしてる。だから高柳の音楽を考察する場合とはおのずと立脚点が違ってくる。
そして中村としまるやSachiko Mと、高柳の間にはさまるのが、北里氏自身が母親を介護する日常の描写、もうこの3つの舞台設定だけでも相当に面白い。刺激的だ。なぜ面白いかは、ちゃんと時間をかけなければうまく書けそうにないので、今日はとても書けないけど、わたしにとっては、80年代からの四半世紀、ある時期は北里と同じような現場で戦ってきたものとして、この感じ、ものすごくわかるのだ。そのことをもっと知りたいからこそ、本で読みたくなった。これを本にしなくて、何を本にするのだ・・・というくらいの気持ちで、この文章を本にする手助けをしたのが昨年のこと。青土社に強烈にプッシュしたのだ。


あ〜〜〜、だから、なんで6月3日の企画をしたのかって話をかかなきゃいけないのに、余計なことばっか書いてるなあ。これじゃ全然6月3日PITINNの宣伝になってねえ。要は、本を出す手助けをした手前、出版記念ライブもやることになり、北里さんの意向を全面的に採用して、PITINNでの企画をオレはかってでたというのが超要約した経緯。
なんで、とにかく見に来てほしい。企画した責任から来てほしいって言ってるんじゃなくて、ほとんど家からでることのかなわない彼が、何年かに一回あるかないかの、コンサート企画のチャンスに選んだのがよりによってこのセットだって重みを感じるからこそ、そう言ってる。単なるお祭りイベントにしたくないのだ。吉増剛造さんが「死人」の再演をわたしや吉田アミとやり、まったく想像もつかない巻上公一Sachiko Mや中村としまるが共演をする。北里はいったい何を考えているのだ? そのことをといつめないわけにはいかない。最後に予定されている大谷能生、北里対談にはわたしも乱入するかもしれない。喧嘩するかもしれない。でもそのくらいやらなくてダメだ。最近よくある子供の批評ごっこみたないもんにしたくないもの。


やばい、もう仕事にもどらなくては。休憩おわり。つづきまた次回。ってか書く暇あるだろか。つづきはPITINNかも。