ぎりぎりの神様

otomojamjam2008-08-08

昔からオレにはぎりぎりの神様がついていてくれてると思いこんでいる。どか〜〜んと素敵なことが起こることはまずないのだが、もうダメ、これ以上仕事ないと家賃はらえない、夜逃げだ・・・とか、ここで置き去りにされたら凍死する・・・とか、とんでもないやつに絡まれてもう逃げられない、殺される・・・とか、そういうどうしようもないピンチなときに、最後の最後にすっと手をさしのべてくれる。この神様に何度も何度も救われた。この神様は手をさしのべたあと、ほっとしてへなへなと倒れこむオレの前で、余韻もなにもなく、いきなりくるっと後ろをむいて去っていくのだ。で、この去りぎわには、きまってぼそっとひとこと「これでいいのだ」、そう照れくさそうにいいながら消えていく。





赤塚不二夫が8月2日に亡くなった。50歳前後の僕等の世代にとってはクレージーキャッツとともに無意識の脳みそにギャグを叩き込んでくれた張本人であり、同時に、アバンギャルドというものをはじめて体感させてくれたのも、当時少年マガジンに連載していた彼のマンガ、後期の天才バカボンからだった。小学生の読者だったオレに、赤塚不二夫が壊れてしまうんじゃないのと心配させるくらいの、その強烈極まりない破天荒な崩壊ぶりを僕等は毎週楽しみにしていたのだ。山下洋輔坂田明タモリを知ったのも彼を通じてではなかったか。


今回ツアー中に読んでいたのは、浅草の軽演劇や渥美清植木等に関する本。高校生の頃、実はフリージャズに出会うまでは、ギャグ作家になりたいと思っていて、ラジオ番組に毎日のように投稿したりしてた時期があったくらい。ギャグの才能はまったくなかったけど、その界隈の本は今でも好きでよく読む。ギャグをもって世間を斬ってきた昭和の芸人たちの生き方と、晩年の孤独な感じ、今になって少しだけだけどわかるような気がするのだ。






8月2日、リスボンONJOコンサートの翌日、会場近くを歩いていたら、長身のモデルさんのような美しいポルトガルの女性に声をかけられた。
「誕生日おめでとう! きのうのライブは素晴らしかったわ」
「ありがとう、コンサート気に入っていただけて光栄です」
丁寧にご挨拶してふと顔をあげたら、美女はあっというまに、どこかに消えてしまった。
もしかしたら、ぎりぎりの神様が仕込んでくれた誕生日プレゼントだったのかな。

「これでいいのだ」
最近は自分でそうつぶやくことが多くなった。そろそろオレが言う側になってきたのかも。





リスボンからぎゅうぎゅうのエコノミークラスでもどり、東京滞在4日間、カヒミさんやジムとライブをやったり、映画の曲をつくったり、宇川直宏さんと対談をしたり、9月に河出から出ることになった『JAMJAM日記』10年分の追い込みをしたりーーーーと、めまぐるしく働いて、明日からはふたたび山口入り。YCAMの『ENSEMBLES』展、いよいよ後半の仕上げ。今回のパートナーは高嶺格。どの作品も、この先五十代の自分がやってくであろうことの出発点ともいえるような作品になりつつあって、うきうきしている。