OUT TO LUNCH・・・響きについて

otomojamjam2005-01-09

エリック・ドルフィーの「OUT TO LUNCH」全曲を
PITINNでやるフェスの初日にそのままの曲順でやろうと思っている。
しかもその翌週にやはりそのままの曲順で録音して
「OUT TO LUNCH!」というタイトルでCDにしようと思っている。
で、今そのアレンジ中。わたしには非常に難しい難曲ばかり
なので、まずは元の譜面はベースの水谷浩章にとってもらった。
彼の耳はわたしのまわりでも抜群だ。
その譜面ともとの録音とをにらめっこしながら
オレになにが出来るのかをずっと考えている。
実はアイディア自体は3年前にすでにあった。あったけど
やっぱり難しくて、1曲目の「Hat and Beard」を何回も何回も
演奏するなかですこしづつ、みつけておこうと思ってた。
で、あるときぱっとひらめいたのが2曲目の「something sweet
something tender」に雅楽のハーモニーをつけるという
アイディアだった。でもいざやってみるとイメージ通りにはいか
ない。実際の雅楽でつかわていないノートがいくつもあって
そうすんなりとはいかないのだ。で、今ためしているアレンジは
原曲の和声をすこしだけいれつつ、なるべく雅楽のハーモニーに
ちかずける方法。さらに各管楽器奏者に吹き出した音程から
四半音、場合によっては半音以上ゆるやかにフラットしたり
シャープしたりを自由にしていい・・・という風にしようと
思っている。こうすれば12音音階の西洋和声とはまったく違う響き
になるし、わたしがコントロール出来ない要素が無限に
増えて、毎回違う響きになる。

これもしかするとクラスター的といわれるかもだが、
しかしである。
よく西洋音楽やジャズの和声理論で解釈出来ない音の集合を
クラスター」のひとことでかたずけてしまうけど
これもなにか和声やリズムの要素ではかれないものを「ノイズ」
でかたずけてしまうのとまったく同じで、
自分の言語体系以外を非常に傲慢にくくってしまう発想だと思う。
人は名前をつけないと安心していられなくて
クラスター」や「ノイズ」ということにしてしまえば自分が
把握できたと思い込めるし、きっとこれで安心なのかもしれない。
そういうために、こうした用語は大抵つかわれてないか?
でも安心して囲いこむための名前なんてどうでもいい。
注意深く耳をかたむければ
ただのドミソの3和音だろうが、ノイズだろうか
無限のバリエーションを聴き取れるはずだ。

そんなことを考えながら
ドルフィーの楽曲の中から、自分の響きをみつけている。