タイタンとアルフレッド・ハルト

otomojamjam2005-01-15

土星の衛星タイタンに着陸したカッシーニの映像が今日の未明
送られてくるってんで、朝6時すぎまで起きてテレビのニュース
を楽しみにしてたのに、今の時点で来た写真は
なんだか古びた土管の中を写したようなピンボケの白黒写真
たった1枚。ちょっとがっくし。と同時に大笑い。
もう寝ます〜(朝6時半)
ちなみにこれが最初に来た映像。

あ、これ上空写真だったのか。ほかにも2枚でましたね〜。
よく見ると面白い。

                                                                            • -

ってことでタイタンとはなんの関係もないハルトさんの紹介です〜
ちなみに写真はハルトとソウルのノイズDUOアストロノイズの
ライブ風景です〜

『アルフレッド・ハルト』

今回の出演者の中では最年長の54歳。でもものすごく
若く見える。彼との出会いは古い。彼の音源をわたし
が聴いたのが80年代中ごろ。ハルト=ゲッペルス
「フランクフルト=ペキン」というアルバムで、もう
これは、本当にものすごい衝撃的だった。まだサンプリ
ングって言葉も、ぼくらに使える実用になるような
サンプラーもこの世に存在しなかった時代だけれど、
今から考えるとこの作品こそが、ミュージックコン
クレート(テープコラージュによる音楽)ではなく、
サンプリング音楽の最初の傑作ではなかろうか。オ
ープンテープに収められた中国の革命京劇の断片を
ステージ上に流しながら、彼等はそれにあわせて演奏
し、叫び、走り回りながらいろいろなオブジェを
叩き壊し、轟音を出したりして演奏したそうだ。残念
ながらそのパフォーマンスをみることは出来なかった
がレコードとしてわずか500枚だけプレスされた「フラ
ンクフルト=ペキン」は私の宝物だ。少なくともわた
しにとっては、いまだにこの作品が最高のサンプリン
グ音楽だと思っているし、そもそも90年代にわたしが
やっていたバンドGROUND-ZEROの第2期は、「フランク
フルト=ペキン」の中の傑作「ペキンオペラ」をリ・
サンプリングする為に作ったバンドだったくらいだ。
このGROUN-ZEROの「革命京劇」をつくる過程で、わた
しは彼等の音源のサンプリング許可を得るためにハル
トとゲッペルスにコンタクトをとった。今から11年前だ。
彼等はすぐに快諾、おかげで、あの作品を完成するこ
とが出来た。

これ「フランクフルトペキン」のジャケです。

でこっちはそれと本家の革命京劇をサンプリング
しまくって作った「グラウンドゼロ/革命京劇」のジャケ

ほかにも80年代彼は、フレッド・フリス、トム・
コラ、クリス・カトラー、ダグマー・クラウゼ等と
「ダック&カバー」という名作を発表したり、カトラ
ー等と「カシーバー」を組んだり。カシーバーの1枚目
などは今聴いても素晴らしい作品だと思うなあ。
そんなわけで、わたしは彼のミーハー的ともいえる
ファンでもあるのだ。

彼の面白さは、単に優れたサックス奏者にとどまらな
い。自ら音や映像のコラージュ作品をやったかと思うと
おもいいきりフリージャズよりの作品も発表したりと
実に多彩だ。ただ残念なことに90年代後半彼はサック
スを吹けないまでに体調を崩してしまい、再起不能
まていわれ欧州シーンから完全に姿を消してしまった
かに見えた。
そのハルトが、なんと奥さんの関係でソウルに越して
きたのが4年前。そこでいいドクターに出会ったことも
あって、座ってならサックスが吹けるまでに彼の健康
状態は回復していた。
そんなときだった。ONJQから菊地成孔が脱退したのは。
いっそのことここで解散しようかとも思ったが、その前
に駄目もとでハルトに声をかけてみようと思った。
ソウルといえば飛行機でたかだか2時間ちょい。飛行機代
も往復で3万円、大阪にいくのとあまり変わらない。彼は
10歳年下の、彼のまわりをうろちょろしていた小僧っこ
だったオレのオファーを快く引き受け、昨年の1月から、
わたしのバンドのメンバーになってくれた。しかも
初共演で、彼は立って演奏。それだけではない、ステージ
上で転がり落ちんばかりにジャンプしながら演奏する姿
を見て正直びっくりした。心配していた健康状態はほぼ
回復していて、彼も再起の機会をさがしていたのかもし
れない。双方にとっていい出会いだったのだ。

それまでただの彼の一ファンにすぎなかったわたしは、彼を
含む新メンバーとともに自分のバンドのサウンドをあらた
に考えなくてはならなくなった。ファンとばかりも言って
られなくなってきた。
最初の壁は言葉だった。わたしとSachikoM以外のメンバー
は英語で仕事をすることに慣れているわけではない。
でも、あえてわたしは手助けせずに、ギクシャクして
もいいから、ブロークンでもかまわないから、彼とメ
ンバーの会話を極力訳さないことにした。特にフロント
を受け持つ津上研太とハルトは蜜なコミュニケーション
が必要で、この2人にはわたし抜きで会話がはずむような
関係になってほしかった。というのもONJQを同じメンバー
で4年やってきて、バンドのサウンドとして成長した反面、
馴れ合った方向に行きかねない危機をいつも内包して
いて、なんとかしたいと、ずっと思っていた矢先でも
あったからだ。ツーカーで話が通じない状態に強制的に
ならざるを得ない・・・というのはいいもんだ。いつも
無意識でやってたり、当たり前のことと思って互いに
確認しなかったことをいちいち検証したり、説明した
りしなくてはならないからだ。同じ時期にJAZZルーツで
はない高良久美子とSachikoMが加入、おかげでバンドは
一気に新しい方向に動き出した。特に昨夏の欧州ツアー
以降は、はっきりと次の方向の兆しが見えてきた感じで、
今やっと彼が僕等の大切なメンバーになったことを実感
している。

そのハルトに、今度PITINNでフェスをやるから21日に好き
なことをやって・・・と依頼したのが昨夏。で、何ヶ月も
熟考した末に彼が選んできたのが杉本拓と吉田アミだった。
ものすごい意外であった。正直なんで?・・・とすら思っ
た。彼とこの2人は確か面識がないはずだし、第一、あまり
に音楽が違うんじゃ・・・とすら思って「彼等の音楽を
知ってるの?」というメールを一応出してみた。返事は
もちろん「YES」だった。こうも付け加えてあった。
「仮に杉本拓が2つしか音をださなくても、それでいいんだ」
それこそ勉強熱心な彼は、来日の度にいろいろなジャンルの
日本のCDを沢山買い込んでいくのだが、その中で彼が気にい
ったのがこの2人だったようだ。そこまでの覚悟があるなら
この共演ぜひ実現させたいと思った。なにしろ杉本拓と吉田
アミの2人はわたしにとっても、ものすごく重要な、大切な
ミュージシャンでもあるからだ。90年代後半以降、その音楽
のクオリティと、やっていることの深さと誰にも似てない独自
さという意味では杉本拓、吉田アミは圧倒的と言っていいくら
い群を抜いているとおもうからだ。ハルト、杉本拓、吉田アミ
この3人の共演がいったいどうなるのか、今回のフェスの中で
も一番「謎」で見当のつかないとんでもないセットになりそ
うな気がして今から楽しみなのだ。

写真は吉田アミと杉本拓