タイタンとアルフレッド・ハルト
土星の衛星タイタンに着陸したカッシーニの映像が今日の未明
送られてくるってんで、朝6時すぎまで起きてテレビのニュース
を楽しみにしてたのに、今の時点で来た写真は
なんだか古びた土管の中を写したようなピンボケの白黒写真
たった1枚。ちょっとがっくし。と同時に大笑い。
もう寝ます〜(朝6時半)
ちなみにこれが最初に来た映像。
あ、これ上空写真だったのか。ほかにも2枚でましたね〜。
よく見ると面白い。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ってことでタイタンとはなんの関係もないハルトさんの紹介です〜
ちなみに写真はハルトとソウルのノイズDUOアストロノイズの
ライブ風景です〜
『アルフレッド・ハルト』
今回の出演者の中では最年長の54歳。でもものすごく
若く見える。彼との出会いは古い。彼の音源をわたし
が聴いたのが80年代中ごろ。ハルト=ゲッペルスの
「フランクフルト=ペキン」というアルバムで、もう
これは、本当にものすごい衝撃的だった。まだサンプリ
ングって言葉も、ぼくらに使える実用になるような
サンプラーもこの世に存在しなかった時代だけれど、
今から考えるとこの作品こそが、ミュージックコン
クレート(テープコラージュによる音楽)ではなく、
サンプリング音楽の最初の傑作ではなかろうか。オ
ープンテープに収められた中国の革命京劇の断片を
ステージ上に流しながら、彼等はそれにあわせて演奏
し、叫び、走り回りながらいろいろなオブジェを
叩き壊し、轟音を出したりして演奏したそうだ。残念
ながらそのパフォーマンスをみることは出来なかった
がレコードとしてわずか500枚だけプレスされた「フラ
ンクフルト=ペキン」は私の宝物だ。少なくともわた
しにとっては、いまだにこの作品が最高のサンプリン
グ音楽だと思っているし、そもそも90年代にわたしが
やっていたバンドGROUND-ZEROの第2期は、「フランク
フルト=ペキン」の中の傑作「ペキンオペラ」をリ・
サンプリングする為に作ったバンドだったくらいだ。
このGROUN-ZEROの「革命京劇」をつくる過程で、わた
しは彼等の音源のサンプリング許可を得るためにハル
トとゲッペルスにコンタクトをとった。今から11年前だ。
彼等はすぐに快諾、おかげで、あの作品を完成するこ
とが出来た。
これ「フランクフルトペキン」のジャケです。
でこっちはそれと本家の革命京劇をサンプリング
しまくって作った「グラウンドゼロ/革命京劇」のジャケ
*
ほかにも80年代彼は、フレッド・フリス、トム・
コラ、クリス・カトラー、ダグマー・クラウゼ等と
「ダック&カバー」という名作を発表したり、カトラ
ー等と「カシーバー」を組んだり。カシーバーの1枚目
などは今聴いても素晴らしい作品だと思うなあ。
そんなわけで、わたしは彼のミーハー的ともいえる
ファンでもあるのだ。
*
彼の面白さは、単に優れたサックス奏者にとどまらな
い。自ら音や映像のコラージュ作品をやったかと思うと
おもいいきりフリージャズよりの作品も発表したりと
実に多彩だ。ただ残念なことに90年代後半彼はサック
スを吹けないまでに体調を崩してしまい、再起不能と
まていわれ欧州シーンから完全に姿を消してしまった
かに見えた。
そのハルトが、なんと奥さんの関係でソウルに越して
きたのが4年前。そこでいいドクターに出会ったことも
あって、座ってならサックスが吹けるまでに彼の健康
状態は回復していた。
そんなときだった。ONJQから菊地成孔が脱退したのは。
いっそのことここで解散しようかとも思ったが、その前
に駄目もとでハルトに声をかけてみようと思った。
ソウルといえば飛行機でたかだか2時間ちょい。飛行機代
も往復で3万円、大阪にいくのとあまり変わらない。彼は
10歳年下の、彼のまわりをうろちょろしていた小僧っこ
だったオレのオファーを快く引き受け、昨年の1月から、
わたしのバンドのメンバーになってくれた。しかも
初共演で、彼は立って演奏。それだけではない、ステージ
上で転がり落ちんばかりにジャンプしながら演奏する姿
を見て正直びっくりした。心配していた健康状態はほぼ
回復していて、彼も再起の機会をさがしていたのかもし
れない。双方にとっていい出会いだったのだ。
*
それまでただの彼の一ファンにすぎなかったわたしは、彼を
含む新メンバーとともに自分のバンドのサウンドをあらた
に考えなくてはならなくなった。ファンとばかりも言って
られなくなってきた。
最初の壁は言葉だった。わたしとSachikoM以外のメンバー
は英語で仕事をすることに慣れているわけではない。
でも、あえてわたしは手助けせずに、ギクシャクして
もいいから、ブロークンでもかまわないから、彼とメ
ンバーの会話を極力訳さないことにした。特にフロント
を受け持つ津上研太とハルトは蜜なコミュニケーション
が必要で、この2人にはわたし抜きで会話がはずむような
関係になってほしかった。というのもONJQを同じメンバー
で4年やってきて、バンドのサウンドとして成長した反面、
馴れ合った方向に行きかねない危機をいつも内包して
いて、なんとかしたいと、ずっと思っていた矢先でも
あったからだ。ツーカーで話が通じない状態に強制的に
ならざるを得ない・・・というのはいいもんだ。いつも
無意識でやってたり、当たり前のことと思って互いに
確認しなかったことをいちいち検証したり、説明した
りしなくてはならないからだ。同じ時期にJAZZルーツで
はない高良久美子とSachikoMが加入、おかげでバンドは
一気に新しい方向に動き出した。特に昨夏の欧州ツアー
以降は、はっきりと次の方向の兆しが見えてきた感じで、
今やっと彼が僕等の大切なメンバーになったことを実感
している。
*
そのハルトに、今度PITINNでフェスをやるから21日に好き
なことをやって・・・と依頼したのが昨夏。で、何ヶ月も
熟考した末に彼が選んできたのが杉本拓と吉田アミだった。
ものすごい意外であった。正直なんで?・・・とすら思っ
た。彼とこの2人は確か面識がないはずだし、第一、あまり
に音楽が違うんじゃ・・・とすら思って「彼等の音楽を
知ってるの?」というメールを一応出してみた。返事は
もちろん「YES」だった。こうも付け加えてあった。
「仮に杉本拓が2つしか音をださなくても、それでいいんだ」
それこそ勉強熱心な彼は、来日の度にいろいろなジャンルの
日本のCDを沢山買い込んでいくのだが、その中で彼が気にい
ったのがこの2人だったようだ。そこまでの覚悟があるなら
この共演ぜひ実現させたいと思った。なにしろ杉本拓と吉田
アミの2人はわたしにとっても、ものすごく重要な、大切な
ミュージシャンでもあるからだ。90年代後半以降、その音楽
のクオリティと、やっていることの深さと誰にも似てない独自
さという意味では杉本拓、吉田アミは圧倒的と言っていいくら
い群を抜いているとおもうからだ。ハルト、杉本拓、吉田アミ、
この3人の共演がいったいどうなるのか、今回のフェスの中で
も一番「謎」で見当のつかないとんでもないセットになりそ
うな気がして今から楽しみなのだ。
写真は吉田アミと杉本拓