中国の反日デモについて
時事問題については、あまり書かないようにしようとおもっているけど、中国の反日デモについて、少しだけ。
わたしは、素朴なナショナリズムが嫌いだ。それがたとえ、かつて虐げられた民族の独立を鼓舞するとても大切な原動力であったとしても、わたしは、もうこの先、少なくともわたしが生活している東アジア、オセアニア、欧米地域では、ほとんど悪害のほうが多いような気がしてならない。
理由は明快。ナショナリズムは個人、個人の営みやつながりを見えにくくしてしまうからだ。全ての人を「日本人」「中国人」「韓国人」というあまりにも乱暴かつ大雑把、しかも理屈にならないくらいプリミティブで強固なククリで分けて、それでモノを考えてしまったら、そこでは、たとえば中国人の母と日本人の父の間に生まれ、ハワイで育ったピジン英語をはなすわたしの友人ネルソンや、あるいは、何代か日本で育ち、日本語ネイティブの在日コリアンで、様々な事情で十数年も考えた挙句、日本の国籍を選択したり、あるいは朝鮮籍から韓国籍に移したり、朝鮮籍を維持したりといった複雑な越境するアイデンティティをもつ人たちの存在を 素朴なナショナリズムは消し去ってしまうからだ。日本人の中に、長年教科書の右偏向問題に辛抱強く反対を唱えている人たちの存在もかなたに見えなくしてしまう。中国の日本料理店に何の罪も無い。そんな場所を襲撃するようなナショナリズムは明らかに間違っている。戦争に反対するのとまったく同じ理由でそうした不条理な暴力にわたしは反対する。
それでも、わたしは今回の反日デモは、日本に住む僕等にとっては、真摯に受け止めるべきサインだと思っている。あれだけの人たちが、素朴に日本に不快感を表明しているという事実。それがもしかしたら中国政府の内政問題をごまかす作戦だとしても、それが理由で、だから僕等の問題ではないとは思わない。いったいなんで、あれだけ沢山の人が、反日を言っているのかを、言われている僕等は、もう少し考えてもいいと、私は思っている。領土の問題とか石油の話はわたしにはジャッジできないけれど、少なくとも、小泉の靖国参拝や教科書問題について、わたしは日本政府のやってきていることは間違っていると考えているからだ。日本は20世紀にアジア地区で大量虐殺をしてきた加害者であることに対して、真摯に向かい合うべきだと思っている。アメリカが原爆投下は間違っていない・・・と言うたびに感じる疑問、これと同じような、もしかしたらもっともっと強い疑問を、日本政府が繰り返す無神経な態度に、目の前に家族が殺されたりした中国や朝鮮半島の人たちは感じていたのでないか・・・ということに、僕等はもう少し想像力をめぐらせるべきだと私は思っている。
もちろんわたしは1959年生まれで、2次大戦のときに起こったことに対して責任の取りようがない。ただ、少なくとも中国や韓国に行った時に、ここの土地で数十年前に日本軍がした行為について記憶している被害者やその家族が今でも沢山いる・・・ということについて僕等は逃げてはいけないはずだ。今現在のことを考えても、日本の朝鮮半島統治によって、数多くのコリアンが日本に来ていて、その子孫たちが、何代にもわたって日本で生まれ育っているにもかかわらず現在でも差別をうけている、あるいは法律的に、制度的に、とても生きにくい状況が今でもあるのだという事実に対して、僕等はあまりにも知らなさ過ぎるし、こうしたことは僕等にも責任があることなのだ・・・と私は考えている。
いずれにしろ、何人もの友人のいる中国で反日デモがおこっているのは、私にとってはとても悲しいし、どうにかしたいなと、本当に素朴に思ってしまう。素朴な民族のククリで憎しみ合うような状況を今後絶対につくらないためにも。
具体的にオレにできることを、実はもう少し前から準備をしている。多分9月になると思うけど、東京のどこかで、中国語圏、韓国語圏といった近隣諸国で、僕等にちかいような、ノイズなり音響なり、あるいは風変わりなロックなりをやっているミュージシャン何人かを呼んでで小さなフェスをやろうと思っている。昨年きてくれたソウルのアストロノイズとか、香港のデイクソン・ディーとか。そこには、国籍にとらわれず、例えば韓国に住んでいるアメリカ人の音楽家とかでもかまわないと思っている。僕等は個々にはであっているけれど、たとえばデイクソンとアストロノイズはこれまで出会う機会はなかったし、東アジアのこういうったシーンは現時点では孤立して細々とあるだけだ。だからこんな機会がもっとあってもいいなと思っていた。それは特に昨年と今年の2月ソウルに行って、そこで活動している佐藤行衛の無国籍な企画をみていて特に思ったことだ。ソウルで日本人がライブを企画をしたっていいし、そこに地元の青年やらソウル在住のアメリカ人、ドイツ人までがあつまって、いろいろ国の言葉が行きかいながら、なにかをやるのは素晴らしいことだって思ったからだ。わたしにはたとえばデモをしたりして、顔も素性もわからない人たち同士がまとまって、顔も素性もしならい人に向かって何かを言うというのが、いまいちピンとこなくて、そういうことより、一番大切なのは一緒に何かをつくったりしながら友達になっていくことのほうだと思っている。もちろんそんな小さなことで今の民族間の問題が解決するとはまったく思っていないし、第一そのためにこうしたフェスをやるわけでもない。理由はあくまでも音楽的な話なのだけど、どんなことであれ、そうした無数の無名の人たちに日常の生き方、営みの中からしか歴史は変えられないと思うからだ。9月のアジアンミーティング・フェスについてはおいおい具体的に発表していきます。
今回の反日デモと、それに対する日本の反応を見ていて、わたしが決心したのは、このフェスを絶対実現させようと思ったことです。現時点ではなんの資金のあてもありませんが・・・苦笑。
あ、今日の写真は中国の百代社製の蓄音機。わたしは一時上海の40〜50年代の歌謡曲にはまった時期があって、その多くが上海百代唱片製の78回転の復刻でした。当時きっとこういった蓄音機で聴かれていたのかな。当時のポップスには素敵な曲が沢山あります。服部良一の「上海ブギウギ」って本だったかな、タイトルわすれましたが、この本を読むと、戦争の中で、日本や中国の音楽家たちの交流があったことが書かれて、ちょっと感動します。なんだか素朴な言い方になってしまいますが、石を投げるのではなくて、楽器を。武器をもつのではなくてノイズを。