無事成田到着

otomojamjam2005-06-03

たった今成田に無事到着。で、さきほど家にもどてきました。


この20日間で6カ国11都市14コンサートとラジオライブ、たった1日づつのフィレンツェとナンシーのオフ、数え切れないくらいの旧友や仲間との出会い、そしていくつもの美味しい料理。なんだか思い出しても思い出しきれないや。すべてが遠い過去というか、もしかしたら夢の中のよう。あまりに情報が多すぎて、いつもいちいち思い出したりもしないというのが正直なところかな。


どこかの都市で、だれだかわすれてしまいましたが日本の女性に「いい思い出づくりになりますね」といわれて、これはちょっと僕等旅の芸人の実感とはちょっとちがうなという感じがしました。というか、こう問われてみて初めて気づいたのですが、僕等はツアーをしながら今現在をサバイバルすることと、あとは次にどうするかしか考えていないのです。思い出をつくる・・・という発想がそもそも僕にはまったくありません。結果としてなにか旧友にあったりしたときに昔のことを懐かしむこともあるのですが、それ以上に、わたしにとっての過去は、今にもつらなる個人的な戦場のような場所でもあるので、そうなってしまうのかもしれません。日記もだいたいは、次にどうするかを考えるために書いているようなもんで。
そんなわけで、このバンドに関しては、もう頭の中はツアーのことではなく、ツアーの最後の締めになる6月25日の東京森下文化センターでどうするかと、あとはいくつかきているフェスやライブのオファーと次作の「plays E Dolphy's Out to Lunch」そしてツアー中に構想が思い浮かんだ次々作のこと、それから来年3月にできそうなONJOの欧州ツアーのことです。次々作のことはここでまた追々。





ところで今回のツアーは5冊本をもっていって、そのうち2冊は成田で買った「剣客商売」のラストのほうで、これはツアーの最初のほうで早々に読了。でその後は電車移動中に武満徹「私たちの耳は聞こえているか」と、この本を監修した現代哲学の良心鶴見俊輔氏に、上野千鶴子小熊英二が鶴見さん自身の戦中戦後史を聞き出した「戦争が遺したもの」。この2冊に共通して流れる、読み取れる通奏低音は、まちがいなく日本が60年前にやった戦争と、戦後彼等が戦争にどう向き合ってきたかということ。さらには日本と西洋の文化の狭間の中で自分自身の立ち位置を慎重に選択してきた知識人の偽らざる軌跡だ。戦中戦後の日本の思想界のことは、まったく無知に近いくらいわたしは知らないのだけれど、この本と、あとは同時代の日本の音楽(特に前衛やジャズ)の流れを重ねあわせると、なんとなくわたしにも見えてくるところがあって、本当に一字一句興味深く読んだ。鶴見さんの書籍も、これ以前にははるか昔に「限界芸術論」を読んだ位で、後は時々雑誌や新聞にでている文章を読む程度だったのですが、このへんのこと、当時の音楽との関連もふくめてもう少し知りたいなって思いました。今の目で「限界芸術論」を読んでみたくなりました。
実は鶴見さんに今興味をもったのはアメリカがイラクに攻め込んだ戦争のときの朝日新聞の文章と、あとは京都の友人田村さんと椿ちゃんが氏に私淑しアシスタントをしている関係で吉田屋料理店にたびたびいらしているという話を聞いたからでした。
のこり一冊は結局てつかず。オレは本読むのとっても遅いのです。

そんなこんなで、時間がほしい、もっともっと考えたり勉強したり、作品を作る時間がほしい。今年は10月にふたたび1ヶ月ほど欧州ツアーをするのですが、それ以外はなるべくツアーをいれずに、自分のための時間をつくりたいなって・・・ま、ツアーのあとはいつもそう思うんですがね(苦笑




帰国の途中、フランクフルトでカヒミさんが小さいてんとう虫が箱の上についたチョコレートを買ってきてくれました。わたしのギターソロの最中にてんとう虫がマイクに飛んできて音をたててしまったことがもとでカバーもてんとう虫にした・・・という話を知っていてのことで、とっても嬉しかった。
あのてんとう虫の話の背景には、実はキュートなはなしなんかじゃない、わたしだけが知っている逸話が込められています。それはとっても重い話なんですが、でもそうした重い過去が、こうやってすこしづつ開放されていくだな・・・って嬉しくなりました。カヒミさんありがとう。歌にはそういう力があるんだと思います。



Sachiko Mは再びフランスに入ってパリでインスタレーションの準備、アルフレッドはフランクフルトの実家に立ち寄って、明日ソウルに。それ以外の皆は全員無事帰国。僕等が再び集まるのは6月24日のリハ。今日はもう限界、早めにおやすみなさ〜い。