秋庭歌一具

otomojamjam2006-07-23

ここのところあまり日記が書けないのは、実は非常に忙しいから・・・って書いても、どうせいつものこでしょ・・・って言われてしまいそうですね。そのとおりです、はい。



え〜と、でも、そんな中、今日は武満徹秋庭歌一具を見に明治神宮の野外特設会場へ。わたしに仕事を依頼している皆さん、怒らないでね。締め切り守りますから。これ、ずいぶん前から本当に本当に楽しみにしていたのだ。
神も仏も神社にもまったくなんの興味もないオレにとってははじめての明治神宮。せっかくだから神殿とか見ようかと思っていたけど、時間もなかったんで、神殿やらそういうのは一切見ないで、まっすぐ歩いて公園の中の会場へ。入り口に屋台がでていて、なんというか縁日ホルモンがでてしまい、やきそばをぱくぱく。暗闇に浮かぶ屋台は本当に心が躍る。そんなことをしていたら、あっというまに開演時間直前。いい場所はもうとられてしまって結構うしろのほうになってしまった。でも初めて野外で秋庭歌一具を見れて、聴けて本当に幸せな1時間でした。




秋庭歌一具雅楽演奏家達が大きく観客を取り囲むようにセットアップして演奏する作品。音の繊細さもさることながら、本来アコースティックでサラウンドな状態を聴かせる作品なわけで、実はPAがはいっていることに最初は危惧したんだけど、演奏がはじまってみると、少なくともオレの座っていたいた位置ではPAが邪魔をするようなことはなく、サウンドエンジニアの方は非常に繊細にこの作品をアンプリファイしてくれていたのではないだろうか。作品を壊すことなく、多くの人たちにより音の細部を届けるという意味では非常にいいPAで感心しました。


ただ、オレの座っていた位置はず〜〜〜〜〜っと(恐らくは発電機の)モーター音が聞こえていて、これがものすごい邪魔だった。本当に邪魔だった。もちろん演奏中はそんな悪条件にもかかわらず、それを越える作品の力に魅せられて十分に音楽を満喫したので、この先は、ちょいと贅沢な提案。



まず、本当にあの作品に電気は必要なんだろうか? PAのことだけではない。照明も含めての話。今日の照明もPA同様この作品を壊すことなく、非常に効果的にもちいられていて、素晴らしかったけど、でも、たとえば、昔のように松明を焚いたり、蝋燭をつかったりして、ものすごく暗い中で、PAを通さずに完全なアコースティックで、今日の音量よりはるかに小さい音の秋庭歌一具を聴く・・・という選択肢があってもいいのではないだろうか? そんなことを考えてしまったのはモーターの音があまりにうるさかったから。



コンサートといえば照明やPAがあるのは当然になっているけど、でも、ない状態を経験するチャンスをつくる・・・という選択肢があってもいいのではないだろうか。別に自然に帰れとか、原発で作られた電力はいらないとか、そういう話をしてるのではない。そういうことではなく、少なくとも今日演奏された秋庭歌一具という作品は、明治神宮くらいの静けさの保たれた会場なら、完全なアコースティックでかすかな蝋燭なりの光だけで演奏したら、より劇的なんじゃないかと、オレは思っただけだ。かすかな光、かすかな音・・・僕等にはそういった身体的な経験をするチャンスがほんとんどない。いつでも音楽は、コンサートだろうがiPODだろうがスピーカーから流れてくる。目をこらさなければ見えないような闇はほとんどなくなってしまった。でも、そんな闇の中じゃなきゃ聴こえない音、見えないものもあるはずだ。明るくて明確なものだけが人生じゃないように。



この先毎年明治神宮の野外ステージで秋庭歌一具は演奏されるという。主催者の皆さん、何年かに一回はそんな試みをしてみてもいいんじゃないかな。こんな提案は贅沢すぎるのだろうか。