I.S.O.山形、郡山公演 無事終了

otomojamjam2007-01-16

久々のI.S.O.は、完全にPAなしのセットアップ。それぞれの演奏家の位置から音が出る。当たり前のことのように思われるかもしれないが、今や大部分のコンサートでは両脇のPAスピーカーから音が出るのが当たり前になっていて、僕等の耳は、勝手にそれを、演奏している人の位置から音が出ていると錯覚してるだけだ。もちろんPAが悪いというのではない。オレも日常使っている。でも、ことこのユニットに関しては、PAなしの状態が一番いい。僕等が何をしたいのかが、一番明確になるからだ。
電子楽器のSachiko MPAではなくスタジオモニターのスピーカーを持ち込み自分自身の後ろに置いて演奏。わたしはギターアンプとギター、それに歪み系のエフェクターのみ。一楽はシンバル類の弓奏の生音のみ。まったく異なる3つの発音源の音が、従来の身体的な演奏性といったものを極力介さずに、あるいは即興のインタープレイのようなものを介在することなく、アンサンブルしていく。
1997年に、なんとか演奏性を介さずに即興を出来ないものかとはじめたこのユニット。特に初期には年間に何十都市もの海外ツアーをこなしつつ、10年かけてなんとかここまできたわけだ。おもえば、ずいぶん遠くまできたもんだ。PAを使わない面白さは、何年か前に山口の雪舟亭の巨大な庭園の中で演奏したときに発見した方法。単にPAを介さないということではなく、場そのものが、もうひとつの非常に重要な共演者である・・・という発想。山形でも、郡山でも、そして仙台の公演でも、それぞれの場そのものの特性と共演しながら音楽が作られている。その意味では、従来の即興とはまったく違うし、作曲されたような現代音楽とも違う。そういった批評が、ほとんど誰からもされないのは本当に残念。Filamentもそうだけど、ここまで、誰にも似てない独特の世界を10年もかけて作り続けているI.S.O.に関して音楽批評があまりになさすぎる・・・と思っているのは演奏家の思い上がりかね? どうなの? 
(Filamentに関しては同じ作り手でもある角田俊也さんがネット上で優れた短い評を書いています→http://d.hatena.ne.jp/omay_yad/20051109
いずれにしろ、自分たちで、この方法を現場で叩き上げながら発見した経験は、今現在の創作のものすごい糧になっている。今後も、機会あれば、場や状況と共演するような形で、このユニットを続けられればと思っている。


ストイックな演奏とは裏腹に、連日驚異的に楽しい打ち上げ。美味いは、面白いは。東北地方恐るべし。今は小康状態がつづいている胆嚢炎がうずき出しそうで怖い。
ご来場のみなさんありがとうございました。奥山さん、森さん、山形の灯蔵のみなさん、郡山のPEAK ACTION のみなさん、そして彼等を紹介してくれたstore15novの青山さん、お世話になりました。


仙台の展示のほうはまだまだつづいております。66台のかわいいガキどもは元気にまわっているかな?