とっても悲しい

otomojamjam2007-01-26

でも、終わるときがくれば終わるのだ。
パリのホテルで青山泰知さんの日記の写真を見ていてほんの少しだけ落涙、あはは(苦笑 


without records展、青山さんとこの話がはじまったのが3年前。その時点では、まだ内容も決まっていなかった。古いポータブルプレイヤーを沢山使うという最初のアイディアは、親しい友人のYと話していて思いついたもの。で、最初にこれを20台のバージョンで実現してくれたのは京都のギャラリーshin-biの田村さんと音響美術家の吹田哲次郎さん。そこからさらに1年半かけて、青山さんや小川さん金築さんや数多くのスタッフの力を借りてここまでのものが出来た。


いつもそうだけどオレひとりではなんも出来ない。だいたいの出来事はわいわいと皆で話しているなかから始まり、オレのフィルターを通過して、再び現場の中でわいわいしているうちに出来上がっていく。まるでお祭りだ。



今回は仙台での展示だったんで、めずらしくも、短い間に2度も福島の実家に帰った。最近は帰るとおふくろやおやじと良く話す。昨年出てきた母親の実家の古い写真があって、そこにはギターをひく叔父その1と、そのとなりでマイクを持って歌うおきょう姉さん(おふくろの友達、美人だ)、テープレコーダーを回す叔父その2、それを囲む叔母とおふくろ、それと無関係な方向を見て遊んでる2歳くらいのオレが写っている。みな薄着だから多分1961〜2 年の夏だ。昭和でいうと30年代中頃。当時はほぼ毎週のように横浜の下町にあったおふくろの木造平屋の実家に親戚やら友人やらが集まって、わいわいやっていた。子供心に、この集まりにいくのがものすごい楽しかったのを覚えている。写真を撮ったのはおやじだ。今は写真なんて全然とらないけど、この頃はいいカメラを持っていて、自分で現像までやっていた。今のオレの目で見てもすごくいい写真だ。おやじも、爆発的に陽気なおふくろの実家に行くのが楽しみだったらしい。毎週が祭りのようだった。
その写真を見ながらおふくろが
「あんた、こうやっていつもみんなにおだてられて、植木等の真似とかしながら踊ったり歌ったりしてたのよ」
「えええええ??? オレ無口なおとなしい子じゃなかったの????」
「なに馬鹿いってのよ、ちゃぶ台ステージにして、親戚中観客にしてスーダラ節踊ったりして大変だったんだから」
「まじ・・・・」
「だいたい、あんた、おだてられるとなんでもやったんだから」


・・・衝撃の事実。オレが物真似? オレがダンス? なんにも覚えてない。宴会好きだったんだ、オレ。おとなしい内向的な子じゃなかったんだ。どうりでいまだにクレージーキャッツが好きなわけだ。打ち上げが好きなわけだ。ひとがわいわいといる現場が好きなわけだ。


そうだったかもしれない。なんとなく、調子に乗ってステージに出てしまう・・・という心根は今も変わってない気がする。






祭りは必ず終わるけど、でも、祭りの終わりは、次の祭りの準備の始まりでもあるわけで。





仙台の展示は終わったけど、without recordsそのものは終わったわけではない。オレの中ではまだまだつづく。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



さて今日はパリでRovaオーケストラによるコルトレーンアセンション。イクエさんやフレッド・フリスも一緒。
フェスの名前はSons d hiverだったかな。昨夜ホテルについて思い出したけど、たしか同じフェスに10〜12年くらい前に出ているはずだ。バスチューユ駅近くの同じホテル泊だったんで思い出した。
コンサートの詳細はここを→http://www.sonsdhiver.org/
パリの皆さん会場で、お会いしましょう。