ウィーン 深夜0時 氷点下6度

otomojamjam2007-11-16

いや〜寒い。ウィーンに着いたら雪が積もっておりました。


昨日はリュブリアナでオフ。一足先に午後の便で帰国する宇波くんと遅い朝食を食べて、軽く昼寝。1時すぎに目をさます。なんにも予定のない日、なんにもやらなくていい日ってのはツアー中くらいしかないもんなあ。東京にいるとついつい仕事をしちゃう。貧乏性なんだ。今日はひとりでゆっくりしよ。
天気もいいし、行く先も決めずに散歩でもするか、と、ホテルを出てコーナーを曲がろうとしたら、むこうから見覚えのある東洋人のシルエット。ん? ん? ん? 宇波拓によく似てるけど、んなはずないよな・・・と思ったのはほんの1〜2秒だったと思う。3秒後には確信に変わった。どう見ても宇波拓だ。その呆然とした足取りは幽霊のごとし。ありゃりゃ、やっちゃったかな! 
「おおともさ〜〜〜ん」(半笑
「乗り遅れた?」
「飛行機の時間間違いました〜」(泣笑


次に乗る飛行機の日時も、次のコンサート会場の名前はおろかフェスの名前すらちゃんと把握してないオレを、地元のオーガナイザーたちと一緒に笑いの種にしていたのがほんの十数時間前。これであなたも、こちらの世界の仲間入りです・・・なんて冗談を飛ばしながら小さなスロベニア料理のレストランでなかなかに美味しい豚肉のメダリオンとポテトのダンプリンを。のんびり休日のはずが、この日は、宇波くんと長々と昨今の音楽についてやら、かつての香港映画についてやら、オタクの文化についてを話し込むことに。まあ、こんなこともあらあな。おかげでいろいろ勉強になった。


ちなみに、わたしの最初の欧州公演は1991年12月のロンドン公演のはずだったんだけど、サンフランシスコからロンドンに飛ぶ便がいきなりフライトキャンセル。空港で呆然としたけど、どうしようもない。結局コンサートには間に合わず。記念すべき最初の公演がこれだからね。自分の力でどうにもならなければさっさと諦めるしかない。ハンガリー国境で止められて、刑務所みたいなところにつれていかれたこともあれば、冬の最中、だれもいないスロバキアの国境で入国拒否され、ウィーンにもどる交通手段もなく、凍えながら何時間もヒッチハイクよろしく乗せてくれる車を待ったこともある。数万人の人々とともに、機能停止のヒースロー空港売店の飲み物や食べ物を略奪しながら一晩あかしたこともあれば、ローマのコンサートでは暴動に巻き込まれて命からがら逃げ帰ったこともある。なるようにしかならないのだ。ツアーミュージシャンを長年してるとそういう癖がいつのまにかついてくる。