オーケストラの可能性--ONJO公演を前に--
なにかでかいタイトルですが、今年のONJOの活動を総括しつつ、オーケストラの可能性についてかんがようかなと。
総括って・・・あんた、いまどきこんな左翼くさい言葉、誰もつかわないか。まあこまいことは言わんといてくださいな。来週やるONJOのライブのことを考えていたら、オーケストラでオレはなにをやりたいのだ・・・なんてことを考え出してしまい、でもって、この1年というかONJOのもろもろを総括してみたくなったのよ。またごたごた書きますが、お時間ある人は付き合ってくださいな。
え〜と、今年はONJOにとって、というより、まずはオレにとって激動の年・・・なんて書くと、テレビが報道番組でよく使う紋切り型の言い回しだな。でもメンバーの脱退やら、手術やら、ここに書けるようなことも書けないようなこともいろいろあって、実際激動というか、考えさせられる年ではあったのだ。今から考えると騒ぐほどのこともない小さい入院だけど、3月の胆嚢摘出手術、手術も入院も初めてのオレには、やっぱおおきな出来事でした。手術の前と後では、具体的にどうこうじゃないけど、少しだけ考え方がかわった、そんな気がするのだ。
なによりでかかったのはですね、手術の翌日の最初にでた食事。なにも入ってないただの白粥なんだけど、これがもう米の味がしっかりとして、ものすごくうまかったのよ。高級な粥なんかじゃ全然ないですよ。ほんとただの病院食なんだけどね。自分の体のほうで美味いって反応してるのがわかる感じ。こんな小さめの手術でこんなこと書くと、先輩諸氏に鼻で笑われそうだけどさ、生きていてものが美味いってのはそれだけでもう最高ってしみじみ思ったのです。笑われるかもしれないけどさ、手術室に運ばれるときは、本当にもしかしたらこれで死んじゃうかもって頭をよぎったんだから。ちょっとだけ覚悟したんだから。いやもう、自分がどんだけチキンハートかってのもよくわかったけどね(苦笑。えらそうにしくさって、ホントはビクビクした人間なのよ。
手術の翌々日になると、ちょいと欲ってもんが顔をだすんだよねえ、これが。きのうまではお粥だけで幸せ〜とか思ってたのに。で、最初の強い欲望はコーヒー。病院内の徒歩5分の距離のカフェに、痛みをこらえてのろのろと十数分もかけて歩いていってですね、でもって、ゆっくりと腰をかけて、入れ立てのコーヒーの香りを楽しみながら、ちびちびと。このコーヒーがどんたけオレを幸せにしてくれたことか。だれだったかな、どこかの国の、どこかの時代の哲学者だったかな、「コーヒーをひとりで入れて飲むささやか時間があることが人生最大の幸せだ」みたいなことを言ってたようなかすかな記憶があるんだけど、間違ってるかな、まあ、いいや、でもそんな気持ちになったのです。で、この感覚は信じてもいいなと、十数分かけてでもコーヒーの香りを味わいたかったってことを生きる基本にしていいんじゃないかなと。
昨年12月に中断していたONJOのライブ音源をまとめる作業に入ったのは手術の1ヵ月後。いったん手術の傷口があいてしまったんで、まだおなかに黒い糸が生々しく残ってる状態で、スタジオに20日以上こもって編集およびミックス。ミックスしたものをメンバーにメールで送信して意見を交換しながら、いったりきたりの作業。スタジオにはいつも入れ立てのコーヒーを自分で用意する。好みは濃い目かつ苦めのイタリアンロースト。マメは自分で轢く。このほうが部屋に香りがただよって良い。コーヒーをちびちびやりながら、スタジオのいい音のするモニターで音源を何度も何度も聴く。なにしろ最終学歴はジャズ喫茶中退って言ってもいいくらいだからね。コーヒーにスピーカーはつきものなのだ。
もし、手術前にこの作業をやっていたら、全然違うライブアルバムになったんじゃないだろうか。今となってはどう違ったかは想像も出来ないけど、少なくともコーヒーの香り一杯分ほどは違ったはずだ。この時点で、候補に入ってなかった2005年のアジアンフェスの音源をいれることを決断。、vol.2のほうに入ってるこのアジアンフェスの2つの音源、、客席録音しか残っていなくて録音状態がいいわけでは決してないのだけど、この先のONJOの羅針盤になってくれるような、そんな気がしたのだ。
こうして出来上がったのが夏に発売された『ONJO/Live vol.1 vol.2』。2枚組が2組という膨大な量。2006年の国内と欧州ツアーをするなかで、はやくも最初のピークにきたように思えたONJOをなんらかの音源に残すのは、スタジオ録音ではなく、ライブで、かつこの分量、重量がどうしても必要だと思ったのだ。その上で、絶対にいくつもの会場のことなる響きのばらばらな録音状態、ばらばらの編集方針のものを混在させるべき。そう確信した。これもコーヒーのせいかな。いや、ひとつのコンサートからというのは、非常に聴き手的な発想になるけど、オレ個人は毎日移動しながら異なる場所、ことなる響きの会場で、少しづつ違う演奏をする・・・というツアーミュージシャンのリアリティみたいなもの、演奏する側にとっての音楽というものをライブ盤で多少なりとも提示したかったのだ。コンサートを見に来る人にとっては1回きりのライブだけど、僕等にとっては毎日がライブなのだ。実はこの視点の違いは大きいと思うのだが、どちらが正しいとか、違うとかではなく、自分自身の立ち位置から考えると、こっちしかないな・・・というような選択をしたつもりだ。
結果的には、もう精魂つかいはたすくらいへとへとになった20日間だった。これを作った時点では、ここまでやれば、この4枚のCDに入ってるものが、今のONJOにできる全てだってくらいの気合だったんだけど、わかってもらえたかしらん。なにしろ、今ライブ盤を残さなければ、この状態のこのメンバーのONJOはもうあっというまに消えてなくなる・・・そういうふうにも思ったのだ。どうしても残したかった。多分もう同じメンバーではやれないかもという、泣きたくなるくらい寂しい予感の中である種高揚しながら演奏し続けたライブだったんだもの。ピークに達するというのは、そういうことでもある。
まったくなんの宣伝もせず(本当にブログ以外は一切宣伝しなかった)、したがって音楽雑誌にもほとんど取り上げられることもなく(こちらからCDや資料をおくったり、広告を出したりしないと音楽雑誌はなかなかとりあげてくれないのだ)、『ONJO LIVE Vol.1 Vol.2 』は、この夏、ひっそりと発売になった。反応ひっきりなしのユリイカとは対照的にほとんど反応がなかった。文字には反応があるのに、音には反応がないのは、文字のほうが言葉で反応できるからってだけの差なのかな。まあ、でもとにかくあれが出せたおかげで、気がねなくONJOで次のことが出来るなと思ったのも事実。8月からONJOの活動を再開。もっとも再開までの間何回かリハをしたり録音もしてはいるのだ。なにもしてなかったわけじゃない。
どんなCDであれ、どうせ宣伝できるのは発売の当初だけだ。特に大手のショップに言えることだけど、かなりのCDは宣伝の期間しか置いてくれないことろも多い。そうやって売るよりは、長い時間をかけて、愛情をもって作品をあつかってくれるショップの手で、聴きたい人に確実に作品を届けたいというdoubtmuiscの沼田順の思いみたいなものが、宣伝をしない・・・という判断をさせたのかもしれない。それは録音された音楽がただひたすら消費され軽く聞き流されることへの彼のささやかな抵抗なのかもしれない。こんなことがなんの抵抗になるのだといわれればそれまでだけど、オレはこういうタイプの頑固な人が好きなのだ。ただでさえ、音楽がデータ化し、どんどん軽くなっていってるときに、こんな重量のある、聴くのに多くの時間を強要するようなアルバムを出してくれる人がいることに、オレはものすごく感謝している。なにより、自分にとって大きな節目となるような、総括といえるようなこのアルバムがそんな人の手をへて発売になったのは、オレにとっては本当に誇らしいことなのだ。現時点でそれに報いるだけの売り上げがないのは、なんだか申し訳ない気持ちだけど・・・みなさん、まだの人は、コピーではなく、ぜひご購入をね。でも長い目でみればきっと採算はとれる。そう信じたい。ところで、彼のブログをみていたら、今度はその沼田順が病気になったみたいだけど、大丈夫なのか? あんま無理せんといてくださいよ〜。あなたがいなくなると、オレだけではなく、こんなじっくり時間をかけたアルバムは作る機会を失ってしまうミュージシャンが少なからずいるわけだし、、そういうアルバムをまっているリスナーたちだって、少なからずいるんだからさ。まあ、体調よくなってきたみたいだけど、呑みすぎには注意!
おっと、話がそれた。総括、総括。
でですね、さっきも書いたアジアンフェスで起こったこと、これが8月からはじまった第2期のONJOの出発点です。ソウルや香港から東京に集まってきて、あるいは一般公募で何人もの人が集まってきて、がやがやするなかで、はじめて一緒に共演した2005年秋のPITINNでの感触。今この時点でなんでオーケストラをやるのか。そのことは、ライブ盤のライナーにもオーケストラを打ち上げにたとえて書いるとおりで、オーケストラがある音楽を目指すのではなくて、この人たちが集まることでいったい何がはじまるのかという興味が先にたっていて、そこが出発点。2005年のアジアンフェスはまさにそんな感じだった。オーケストラをやることが切っ掛けになってなにが生まれるのか。問題はステージ上だけじゃやない。ある程度の人数のアンサンブルの形やその方法を模索するってのは、自分が今の世の中でどう生きていくのかということと直接リンクしてるんように思えてならない。沼田くんの姿勢を見てたり、あるいは、お粥やコーヒーが美味いなって感じた自分の感覚を信じることが出来るようになって以降は、ますますそういうふうに思えてきて、で、実際にやらないことにはおさまらなくなってきたのだ。ライブ盤発売とともに、いったんこれまでやってきたONJOをオレの中では解散して、組み立てなおそう。そう思ったのが8月のONJO公演のあと。10月のツアーではその最初の成果がでてきていたと思う。
現在、ONJOは、固定メンバーからゆるやかにフレキシブルなもに移行しつつあって、情況のゆるすかぎり、毎回大胆なゲストを迎えることにしている。ゲストといっても参加してくれるときは、完全にONJOのメンバーのつもり。秋に山本精一や沖至、音遊びの会と共演したのは、その最初の試みでもありました。一晩だけかもしれないけど、でも同じバンドのメンバー。ぼくらはONJOなんだけど、ONJOのようには演奏する必要はなくて、毎回そこにいる人たちと即興演奏をとおして、なんらかの共演方法をさぐりながら音楽をつくっていく。音遊びの会の永井くんが突然指揮をしだしたら、それが面白いと思えたら、ぼくらはそれについていく。突然芳垣や沖至がステージをおりて歩き出したら、それに対して、ほかのメンバーはどういう態度をとるのか。いつでも転校生がいて、転校する人も居て、そんな状態の中で、手馴れた方法だけではなく、毎回サバイバルしつつ音楽をつくっていく。そうした情況を前に楽しんだり、考え込んだり、時に困ったりしながら。まあ、別にこれが新しい方法とか、他者との共演みたいなそういうことを思ってやってるのではなく、そういう方法が一番しっくりくるなというのが実感。共演者はオレがえらぶこともあるけど、なにかの縁で出会って、その出会いがピンとくるものなら、それでいいと思ってる。そういうオーケストラ。
12月21日、お台場の科学未来館で今年最後のONJO公演、かな〜り大胆にいろいろな共演者を迎えておおくりします。
まずは、この2年間、ずっと念願でもあった、ONJOとの共演をオレ自身が切望していた梅田哲也。大阪の美術家と言っていいのかな、音楽家と言っていいのかよくわからないけど、オレ、彼の仕事にものすごい興味がありまして、このブログでも何度か彼の作品について書いてるのでご存知の方も多いとおもいますが、やっと共演実現します。
そして平川紀道。彼と出会ったのは、まさにこのお台場の科学未来館でありまして、今展示がおこなわれている地下展のインスタレーションの一部を彼がやってるのです。僕等の音がサンプリングされ、ハンドルを動かすと、画像とともにその音がどんどん変化してく彼のインスタレーション、これが強烈に面白いのだ。彼とは話していても面白い。梅田くんにしても平川くんにしても、ほんとはなしてるだけで面白い。平川くんのほうは梅田くんと違い、パフォーマンスにようなことは一切未経験。いったいその彼がどうからんでくれるのか、そこが本当に楽しみ。
あとはd.v.d.のItoken、Jimanica、ymgの3名。映像のymgも、この科学未来館の地下展で出会ったひとり。旧友Itokenも今回はこの地下展入り口の音楽を担当。彼等のプロジェクトd.v.d.は、ご存知のとおり2つのドラムと映像(だからd.v.dなのだ)によるインタラクティブなドラムデュオゲーム・ユニットとでも言ったらいいのかな。ONJOとはもう、全然違う感じの個性なんですが、今回はあえて、彼等とやってみたいのです。それは、異物をいれるとか、他者との共演みたいな、最初からあっちとこっちみたいな仕切りをつくってものを考えるみたいな、そんな失礼なうがった考えからでは全然ありません。わたしにとっての最大の魅力は、彼等の持ってる「遊び」の要素なんです。アンサンブルの軸になるのが、音楽そのものの構造ではなく、視覚を必要とするTVゲームのルールにもとづいてる、その部分の面白さがあってこその共演です。とはいえ、今回はd.v.d.のゲームをそのまま持ち込むわけではありません。3人のやんちゃな転校生達が、ぼくらの教室をどんだけかきみだしつつゆたかなものにしてくれるのか、これも蓋をあけてみないとちょっとわからない・・・そんな共演です。
さらに告知はされていませんが、ファーストセットには、オプトロンの伊東篤宏もゲリラ参加します。(ほかにもゲリラがいるかもしれません)
実は、今回の告知わかりにくい・・・という指摘があったんで内容についても簡単な説明を。
ファーストセットは、未来館で行われている地下展のたしょう迷路のようになった発砲スチロールで囲まれた展示会場内で演奏します。参加ミュージシャンがどこで演奏してるかは、わたしにもわかりません。それぞれが思い思いの方法で会場の各所で同時多発的に演奏します。どんな演奏かもまったくわかりません。演奏の全体像を聴くことも不可能です。観客のみなさんは各自の判断で会場の中を自由にあるきまわるもよし、ひとところにとどまるもよし、とにかく自由に鑑賞してください。
セカンドセットは展示会場の出入口の側にある別会場シンボルゾーンで、半円形に組んだステージでのコンサート形式の演奏です。10月の京都公演を見た方はわかると思いますが、観客を半分取り囲むような形でステージが組まれます(実際には会場の都合で半円ではなく三分の一円くらいになるかもですが)。椅子のほうも最低でも200席、出来ればそれ以上。なるべく多くの方が座ってみれるように用意する予定。演奏内容については、ここには詳細は書けませんが、これまでのONJOの曲もやりつつ、このメンバーならではのセットもやります・・・ということだけは確約いたします。
ONJOのアンダーグラウンド・クリスマス(笑・・・な〜〜んて、なんかこれもありがちなコピーですが、でも冗談でもしゃれでもなく、ちょっとだけそんなかんじの、いい意味でこれまでのONJO公演を裏切るような、あるいはコーヒーの香り一杯分だけ贅沢な2007年ONJOを総括するスペシャルな夜を考えております。年の瀬のお忙しい時期だとは思いますが、ぜひぜひお越しくださいませ。
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/event/2007/1221_plan_01.html
あ、それから忘れてはいけない。本文にもでてきます沼田順と大友が今年最後におくるスペシャルリリースの宣伝も。ギターソロ作第二弾、念願の『2台のギターと2台のアンプによるモジュレーション』が12月15日にいよいよ発売です。ジャケットは敬愛する佐々木暁、そして今回その内容にリンクするかのようなジャケットのステレオ写真を提供してくれたのは、やはり敬愛する思想家かえるさんこと細馬宏通です。21日の未来館の公演でもこのCD販売いたします。この作品については、実は沢山書きたいこともあるのですが、もう相当長文になってるので、また次回に。例によって今回もブログやサイト以外での宣伝はありませんので詳細はここを参照ください→http://www.doubtmusic.com/new.html
ってことで、明日から5日間だけ、"LIFE"なる公演をやりにフランスはSt Nazaireにいってきま〜す。むこうではソロと今話題のダンサーBoris CharmatzとのDuoを。もしもこれを見て会場にこられた方は一声かけてくださ〜い。ワインの一杯でもご馳走します・・・って先月のウィーンの公演の際に書いたら、ほんとうにそれを読んできた人がいてびっくりしましたが、まあ、今回はフランスとはいえ、そうとう田舎町、そんなことはないだろうくらいたかをくくっておりますです。