FEN

otomojamjam2008-07-21

今はウィーンの空港でこれ書いてます。



MIMIフェスでのFEN、あまりにも幸せな1時間の演奏だったんで、今は感無量。やっとニュートラルな関係で、それぞれの民族性とか、歴史とか、そんなめんどうくさい顔の見えない大きすぎる紋切り型の前提をごたごた言うことなく、単に個々人の付き合いの中で、例えば欧州のミュージシャンや東京のミュージシャンといつも一緒に演奏するように、日本の外のアジアのミュージシャン達と一緒に音楽をつくれる時代がやってきた。もうそれがうれしくて、うれしくて。演奏の終わり頃には、顔にはださなかったけど、マルセイユの夜空を視界にいれながら心の中で泣いていた。
今はあんま冷静にレポートできそうにないので、また熱いこと書いてと冷やかされそうだけど、遠慮せず書かせてもらう。


FEN(FarEast Network)・・・これご存知のように、日本に進駐してるアメリカ軍の、要するに占領軍のラジオ局の名まえだ。実はアジア各国のミュージシャンとのネットワークが出来てきて、もしそういうバンドを作るようなことがあったら、この名まえを使おうと思ったのは十数年も前のことだった。

マルセイユでやったFEN。もちろん今回が初演。メンバーは北京のYanJun、シンガポールのYuen CheeWai、そしてソウルのRyu Hankil。2日間のリハののち、ステージに立ったわけだけど、僕らは英語でコミュニケーションしてる。シンガポールのチーワイにとっては英語はネイティブな言語だけど、オレがはじめてYanJunの会った9年前、Hankilにあった4年前には二人とも英語はまったくしゃべれなかった。オレにしても20年前まではまったくしゃべれなかった。なにしろ学校にちゃんといってなかったからね。それが今回はみな英語で、ずばずば意見を言い、ジョークまで言い合うになってる。そのことにまずは驚いた。みんな影で努力してるのだ。

英語を話すことが素晴らしいってことを言いたいのではない。別にアメリカのグローバリゼーションの肩を持つ気もない。さっきFENは占領軍のラジオ局ってあえて書いたけど、立場を変えれば、当時の朝鮮や中国、シンガポールにとってみればFENは解放軍のラジオ局なのだ。日本の占領から自国を解放してくれたラジオ局。言い換えれば英語も国によっては占領軍の言葉でもあるし、解放軍の言葉でもあるわけだ。いずれにしろ、どこかのアジアの国の言葉がパワーをもつのではなく、全然関係ないよその言葉を僕らは使ってるわけで、それはかえってアジアにとっては幸いなことのような気がしている。日本語がアジアの共通語になるなんて洒落にならないし、中国語が席巻したって微妙だろう。僕らは本来の自民族が持ってる言葉ではない言葉でコミュニケーションをはじめていて、さしあたり、それは他の世界にも通じる便利なツールということなのだ。例えば、日本人がリーダーのバンドなんだから日本語をつかうべきだ・・・などとは天地がひっくり返っても思うはずも無く・・・って話。英語を使うからって、ジョージ・ブッシュやグローバリゼーションを支持することにはならない。便利なツールは遠慮なく使わせてもらう。それが僕等のようななんのバンクアップもない、まあ言ってみればストリート的に生きている音楽家の流儀だ。


ラジオ局のFENのほうだけど、オレはこの放送局に小学校から中学にかけてずいぶん世話になった。なにしろ洋楽とよばれたポップスやロックの情報が少なかった時代に音楽が中心のFENの番組は重宝したのだ。オレのお袋なんかも、このラジオを聴いて、スイングジャズやロカビリーのとりこのなった・・・なんて話をしていたから、占領軍どうこうより、音楽の面白さが勝ってたってことかな。余談になるけど、今憲法改正の動きの一番の主流になってる意見はアメリカに押し付けられたものだから・・・って論調だとおもうけど、憲法9条とポップスは、戦勝国アメリカが持ってきたもんではあるけど、決して押し付けられたもんじゃなくて、僕らはそれを強く欲して受け入れたんだと思っていて、だから否定するようなもんじゃないって思ってる。戦争を否定する憲法9条も、アメリカの生んだポップスについても、地球の宝もんだとオレは思ってるけどね。別にだれがつくたっていいじゃねえか。そういう自国民の名誉とか誇りみたいなもんでものを考えるのは、オレは嫌いだ。


話がそれた。3年前に上海で起こった反日デモのときに、オレは、顔の見えない、民族とか国とかいうわけのわからない単位でものを考えて、個人の経営する日本料理屋を襲撃するような考え方は、一切支持にないと日記に書いた。で、それに対して同じように言葉で反対したりするのではなく、オレは東京でアジア人同士が演奏するようなフェスをやることで、自分の意見を表明したいと書いた。そのときやったのが2005年秋のアジアン・ミーティングフェスティバルだ。お互い顔が見える同士で話をしなくて、なにを信じろというのだ。オレは歴史の本がどんなにえらそうに、いろいろな民族の歴史を書こうが、自分の把握できないような、顔の見えない大きな単位の集団をくくってなにかを考える考え方はどうしても理解できない。北京からきたヤンジュン、シンガポールのチーワイ、それで充分だ。それぞれの個々人に歴史があって、それはかならずしも国家や民族のかかえる歴史とイコールなわけではない。政治家ではなく、音楽家であるオレとしては、個人個人の顔の見える関係でしか音楽をつくることは出来ないし、ものを考えることは出来ない・・・そう強く思っている。

せっかくFENマルセイユでいい演奏をしたのだ。彼等を日本に呼ばない道理はない。彼等を含め、また沢山の人にあつまってもらい第2回アジアン・ミーティング・フェスをやる。今のところきまっているのは10月11日の山口YCAM。10月13日六本木スーパーデラックス。楽器や人の運搬を手伝ってくれる車もってるボランティアスタッフも随時募集する予定。よろしく〜。