神戸の知的障害者とのワークショップ 最終回その1

otomojamjam2006-03-07

3月5日、神戸ジーベックホールでおこなわれた公演「音の海」について何から書いたらいいのかな。公演が終わって丸2日たっているけど、まとめて何かを書けない位、特異な体験で、未だに、精神のほうも高揚したままなので、ここに書くことも、3分の2くらいに薄めて読んでもらってちょうどいいかもしれない。でも、もし1行でまとめるなら、とにかく事故もなく、無事大成功に終わって、ほっとしてるってのが本当の正直な感想。



昨年9月に最初の見学に行って、今年の1月から、私自身が江崎将史、林加奈、森本アリの3人のミュージシャンとともに、指導的な立場にたたされてやってきた知的障害児達とのワークショップ。多分ほとんどの参加者、スタッフ、関係者にとって、幸福なラストを迎えられた・・・この1点だけでも、オレは、自分自身を含む、全員を諸手をあげて褒めてあげたいって思ってる。こんだけやって、あの結果がでて、それでもごちゃごちゃ文句言うような奴が居るなら、そんな奴とは対マンはってもいい(実際は弱いからそんなことしないよ)。その上で、単にみながハッピーだっただけじゃなく、僕等は自信をもって、多分まだ誰もやっていなかった、でも誰かがやるべき領域のことをやったと思う。



そもそもの発端は、音楽療法を勉強している大学院生の沼田里衣さんのアイディアと実行力からはじまった。彼女のアイディアは、簡単に言えば、知的障害者音楽療法士、即興演奏家、この3者でなにか新しいことができないかってことだった。ワークショップがはじまったのは昨年9月。最初の3ヶ月は即興演奏家として千野秀一さん、片岡祐介さん、音楽療法士として石村真紀さんがゲストとして迎えられ、12月上旬に発表会「音の城」が神戸の乾邸という古い洋館でおこなわれた。いろいろな場所で即興的にさまざまなことが混沌と起こる公演。
で、1月からはわたしと江崎将史、林加奈、森本アリの4人のミュージシャンがワークショップを受け持つことになった。



知的障害と一言でいっても症状は様々。いわゆる自閉症と呼ばれるような子供もいれば、ダウン症ウィリアムズ症候群のような遺伝子に原因がある症状の子もいるし、名前のつけられない発達障害の子供もいる。昨年見学にいくまではそういったこと、もちろんまったく知らなかったし、それどころか、そもそもオレには、こうした人たちと接する機会すら今までなかった。だいたい子供と接するなんてのも、今から20年以上前、麻布十番にあった学習塾で2年ほどバイトで小学校の高学年を教えてたことがあるくらい。だから、知的障害どころか、子供になにかを教えることに関しても、なんの経験もなかったのだ。そんな人間が無責任にもよくこんな大それたことを引き受けたもんだって言われそう。
実は、引き受けたのは、神戸大学のかわいい女子数名が直接たのみに来たからだった。半分躊躇しながらも、ついつい受けてしまった。今考えると、その中には、その後一度も会うことのないダミー美人までまでいたような気もする。でも、あんただってかわいい女の子数名が誠心誠意なにかをたのみにきたらきっと「Yes」って言ってしまうはずだ。もちろんスケベ心半分で、ついついいい人なふりをしたのが原因だから、誰にも文句は言えない。みんなオレが悪い。こんな濁りきった動機が、このワークショップの、オレにとってのそもそものはじまり。最低な動機。



言い忘れたけど、企画をしていたのは神戸大学の大学院で音楽療法を若尾祐教授のもとで勉強している学生達で、彼等彼女等の何人かとは、何年か前の広島の山の中で行われた若尾先生のワークショップの時に知り合っている。そのときはオレは聴取やらのワークショップをしにいったのだけど、あまりにも大自然豊かな環境に辟易として、はやく都会のネオンを見たくて泣きたくなったのを覚えている。おっと、そんな話はどうでもいいや。ま、とにかくそんなわけで、何度か見学に行き、率直な疑問をワークショップの企画者や当時のゲスト講師達にぶつけてきたのは、今までこの日記に書いてきたとおり。興味がある人は、9月からのオレの日記を読み返してみてください。結構な量書いているはず。



それまで見ている立場でぶつぶつ文句を言ってるのと、実際やるのとはえらい違いで、1月からはじまったワークショップはもう、正直、ほんと落ち込みました。全然うまくいかない。ざわざわうるさくて、音楽をする環境にすらならない。子供達とどう一緒に音楽をやっていいか、手探りの日々。きっと江崎、加奈、アリの3人もそうだったと思うし、学生スタッフにしても同じように手探りだったんじゃないかな。はっきりしてたのは目標だけ。今回は最後にコンサートで締めようということで、目標設定は、皆でコンサートを成功させること、でもって、そこに行くまでの過程で、音楽的な成果もさることながら、子供達がアンサンブルを組みながら即興で音楽をやる喜びをちゃんと実感できるようにしよう・・・ということ。でも目標があっても到達できなきゃ意味ない。



それでも目標設定だけは、公演の準備をしなくちゃいけない関係で着々と進む。会場がジーベックホールに決まる。皆の発案で3時間のフェスティバルにすることになった。しかも前回の混沌といろいろなことが同時多発的に起こる「音の城」とは対照的に、今回ははっきりと区切りのあるコンサート形式。ある年齢以上のコアな音楽ファンはジーベック時代のフェスティバル・ビヨンド・イノセンス(FBI)を思い出した人もいるかもしれない。オレも96年、97年に参加させてもらった懐かしい会場で、今回はアバンギャルドミュージシャンではなく、13人の知的障害児達が主役になるわけだ。スタッフの中には実際に当時のFBIを観客で見た人もいるし、江崎くんなどは、当時若手の精鋭として出演していた。会場が決まった時点で、フェスみたいにしようという案が出てきたのには、そんな背景があったかもしれない。



目標設定はそんな感じでできたんだけど、ワークショップのほうは大変なまま。そもそも皆がちゃんと席についてくれない。当たり前にスタートがきれないのだ。よく言えば自由、わるくいえばわがままな十数名。とてもじゃないがアンサンブルをするという場そのものが成立しない。なのにオレは、子供達を怒ることも出来なかった。こういう子供に対して怒っていいのかどうかすら分からなかったのだ。学生達も子供に妙にやさしい。あの子がそうしたいなら自由にさせてあげれば・・・なんて意見もあったくらい。でも、本当にそうだろうか? オレはものすごい疑問だった。親御さん、そして、この日記を読んでメールを下さった方からいろいろなアドバイスをもらった。いろいろネットにでている文献もあさってみた。少し後になってしまったけど、実際にプロが教えている小学校の現場も見学してみた。で、結論。
「なんでも自由にさせりゃいいってもんではない」
オレは時には怒って注意することにした。フリーミュージックなんって言ってるオレが言う発言じゃないかもしれないけど、でも、なんでも自由にさせたら、なにも出来なくなってしまって世の中が混乱するのは現実世界と一緒。オレだって、即興をするときに、なんでも自由にやってるわけじゃない。会場のルールや時間を守り、共演者のことを考え、その上で、音楽的にも、いつも自分の中でストイックな縛りを設けて演奏している。ここまでやって初めて、時々は自由になれることがある・・・そんな程度のささやかな自由を探すためにオレは何十年も演奏をしている。自由なんて楽に得られるものではない。自分自身の責任において獲得していくものだ。彼等にもそのことを教えるべきだ。そう決めた。音楽をやるためには、鬼ごっこをしていい自由を奪わなくてはいけない。少なくとも音楽の現場に彼等を縛ること、他人の演奏を邪魔しないこと、この2点について、問題がおこればオレはちゃんと怒ることにした。もちろん、これも子供による。そういった縛りのようなものが、オレの力では全然通じない子供も2名いた。それはそれで良し。そうした強烈な個性と共存しつつも、でも残りの11名はこの方向でしっかり締める。



もちろん怒ってばかりいても音楽ははじまらないし、健常者の子供のようにぴしっと言うことをきくわけではない。それでも、場が締まってきたのは事実。その次のステップはアンサンブルを組むための方法。ぼくらプロは即興でも、即座ににその場に居る人とアンサンブルを組むことが出来る。そういう現場を何年にもわたって渡り歩いてきたからこそ出来ることだ。でも、そんなことは、そういう現場も知らないアマチュアには簡単にできるものじゃない。ましてや相手は即興なんてまったくやらない学校の音楽教育しか受けていない子供たちだ。


さて、どうする。


最初に思いついたのが、大人の僕等が、まずは楽しく即興で演奏するところを見せようということ。僕等が思いっきり演奏しようということ。これは参加メンバーのジャンベを叩いている平木くんが皆にメールで呼びかけたことだった。僕等は彼等にあわせようと、ついつい遠慮して演奏していた。でも、そんなことせずに、ちゃんと自分の音楽をぶつけてみようって提案で、これは、すごい励みになった。それ以降は、僕等が最初に演奏して、彼等が演奏したくてうずうずしだした頃に、彼等をステージに上げる方法をとってみた。いける。この頃になると、江崎、加奈、アリの3人も、それにスタッフのみんなも、それぞれに悩んだ末に、いろいろ画期的な案を持ってきていて、子供達もずいぶん楽しく音楽をやるようになっていた。最初の頃は、いろいろ悩んだけど、もうオレの悩みなんて取り越し苦労だったってくらい、全メンバーがワークショップをいい感じで運営しだしていた。


皆が気づいた多分一番重要なことは、子供に自由にやっていいよ・・・と言う前に、自由にやれる設定を大人方が密かに、しかししっかりと作っておく必要があるということ。その設定がしっかり機能してさえいれば、子供も自分の一番やりたい音楽を演奏できる。なんの前提もないところで、さあ自由にやれ・・・というのは、大人の責任放棄だし、そこに投げ出された子供達にしても、なにをしていいかわからず困るだけだ。僕等はみな、この設定のことを真剣に考え出した。ときには彼等の自由をうばいつつ、ステージと客席の境目をはっきいりと認識させたり。教室の広さ、楽器の置き方、音楽が成立する現場とはなにかを場の設定から考えていくこと。これで、子供たちの意識も、僕等大人のスタッフの意識もかなり変わったと思う。コンサートまで2週間。




でも、これだけでもまだなにか足りない。それがなんなのか良く分からないけど、でも、あと一歩なにかが欠けている。
なんだろう。
そう考えているときに、すごい当たり前のことに気づいた。小学校に見学にいったときのことだ。みなものすごく楽しそうに音楽をやっていて、アンサンブルもちゃんと組めていて、仲がよさそうなのだ。先生も平気ですごい声で怒ってるのに、みんな平気な顔して楽しそう。で、良く見てみたら、みんないつも顔を合わせてる友達同士なんだという当たり前のことに気づいたのだ。
このワークショップに集まっている子供同士は、別に同級生ってわけではなくて、ただ毎週日曜日に会うだけの関係だってことをもっと考えるべきだった。同じように、ぼくらも、互いに日曜日に何時間か会うだけの関係だってこと。大人だって、そんな関係で一緒になにかやるのは大変なのに、ましてや子供同士なおさらだ。みんがもっと仲良くなればいい、そう気づいたのだ。最初に考えたのは彼等ともっと会話をして仲良くなること。そうだステージ上で彼等彼女等と会話するようなステージにしてみよう。3時間半のフェスのなかの数十分だけ、わたしがみなとDUOやトリオを組むような、小さなセットを沢山やることを提案してみた。
でも、これだけでは全体が締まるわけじゃない。公演まであと一週間。



ちょうどそんなとき、あるお母さんから、ふたたび有効なアドバイス。子供に物語でも読んであげて、じっくり話をして彼等の心をつかんでみたら。多分彼女はオレにリーダーシップについてのアドバイスをしてくれたんだと思う。子供達にとって、オレ等は時々登場する音楽のおじさんでしかない。彼等がそんな人たちについていくはずもない。あと一週間で皆が仲良く団結するには、リーダーが必要かもしれない。このとき奴等のバンマスになろう・・そう密かに決めた。
オレは、物語を読むのは苦手だけど、バンドを作るのは人よりは得意なはず。みなでひとつのバンドなんだ・・・ってことをコンサートに向けてはっきりさせる。いろいろ方法を考えてみたけど、策なんかねらずに、直球を彼等に投げてみることにした。勝負はコンサートの前日。サウンドチェックやリハーサルをするとき。
オレはまず彼等を思い切り、プロとおなじようなミュージシャンとして扱うことにした。サウンドチェックってのは何なのかを説明し、いつも皆が見ているテレビやコンサートが始まる前には入念にそういうチェックをしなくてはいけないのだというようなことも説明することにした。ひとりひとりコンサートをやるという責任を感じてほしかったのだ。チェックはいつもONJOなんかでやってるのと同じようにやった。
その上で、この先は、ちょっとウォーターボーイズとかの映画の話みたいで、言うのも照れるけど、みなでスクラムを組んで、明日はたくさんのお客さんオレ達を見に来ること、そこでいい演奏をしてみんなをびっくりさせてやろう・・・みたいなことをいって出陣のシュプレヒコール「いいか、みんないくぞ! えいえいおー」なんてガラにもないことをやってみた。オレが一番嫌いだったこと。子供の頃に、そういうことをやっている輪にはいれずに、本当に嫌いだった「団結」みたいなもの。でも、みんなすごいうれしそうな顔をしていた。多分これで、僕らは一緒にコンサートを成功させるんだってみんなで思えたんだと思う。みんな同じ目標を持った仲間なんだって思えたんだと思う。これでよかったのかな? 一瞬疑問がよぎったけど、でも多分よかったんだ。 そう思うことにした。オレの小さなトラウマは、とりあえず、どこかに置いておこう。



でもって迎えたコンサートの当日。このつづきは次回の日記で。



興味のある人は敬愛する思想家細馬宏通ネットラジオで非常に面白いことをいっているのでぜひ聞いてみてほしい。
http://www.12kai.com/numa/