ザイ・クーニンのこと

otomojamjam2008-06-09

シンガポールに今回行ってたのは、ザイ・クーニン(Zai Kuning)の新しいプロジェクト「ブック・フロム・ヘル」のリハーサルがあったから。
シンガポールの異色のミュージシャン、奇才と言ってもいいザイとの付き合いははかれこれもう7年にもなる。といっても、7年前に激しい出会いをし、昨年のHADAKA-Kプロジェクトで再会するまでは、コンタクトがあったわけではない。7年前、オレはどうやら、彼と大喧嘩をしたらしいのだ。らしい・・・と書いたのは、オレはそのことを全然覚えてないのだ。ただ記憶あるのは、当時シンガポールでやったフライングサーカスプロジェクトというアジア各国のミュージシャン、アーティストが集まったワークショップの中で、わたしは彼と出会ったこと。このプロジェクトにはオレも彼もかなりのフラストレーションを感じていて、オレは途中で帰る・・・とまで言い出しながら、ずいぶんいろいろな人たちと議論をしたり喧嘩をしたりして、それでも最終的には、そこに自分が来た意味が発見できたこと。その中でも彼のやったことが一番記憶に残っていて、それは後々、オレの中にカウンターパンチのように、づっと影響をおよぼしていた・・・ということだ。



気になったのでそときのJAMJAM日記をさがしてみた。長くなるけど引用する。

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それまで、ほとんどマイペースにまわりの状況とはほぼ無関係にピアノを弾いていた女の子(オレは彼女を不思議ちゃんと呼んでいた。多分、自閉症的傾向のある娘だ)が、突然自作の弾き語りフォークを歌い出す。ふやけたキャロル・キングのような変てこな、クオリティのやたら低い音楽。うわ、なんじゃこの状況は。しらけた空気があたりを包む。そのとき、ワークショップに否定的な意見を持っていたシンガポールのアバンギャルディスト、ザイが突然立ち上がって不思議なダンスを踊り出した。彼はこんなことをしても無意味だと言いながら、いつも僕らにくってかかっていた。オレには彼のキモチは痛いほどわかっていたけれど、参加した以上、文句を言うだけでは駄目だとも思っていた。そのザイが突然、すごいテンションで立ち上がり、ゆっくり舞いだしたのだ。この時のことを文章で説明するのはすごく難しい。ただ、ザイの動きとともに空気が変わり状況も一変したのは確かだ。孤立してしまった不思議ちゃんは状況の一部となり、しらけた空気は別の何かになった。そして少なくとも、オレはココロを動かされたのだ。ザイを包むいろんな状況、彼の孤独が一瞬にして見えた気がした。「異文化との交流」なんて、甘っちょろい言葉を語る作品やプロジェクトをオレは信用しない。が、もしそういうものが本当にあるとしたら、それは作品の中にではなく、こうした未完成な混沌とした状況の中だけに瞬間的に起こるピカピカとした何かなのかもしれない。教授がいつの間にか隣にいる。「ここに来た意味が少しだけ見えたよ、教授」。無言のままにやりとりした彼の顔が忘れられない。南国の風が暑い。

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あれ、やっぱ彼と喧嘩したのかも。う〜〜ん、覚えてないや。でもそういえばヤツはみなによくからんでいた。誰に対しても怒っていた。ま、それはともかく、このときの彼のやったパフォーマンスをオレは忘れることが出来ない。本当にココロが動いてしまったのだ。
百万の言葉より、結局はオレはこうしたその人の存在そのものをかけたリアルな出来事でしかココロは動かない。北里さんの文章にココロがうごいたのも、理屈じゃなく、まずは彼が積極的関与した出来事に対してだもん。音と言葉だけで、なにかが語れる、見えるなんて思っているうちは青い、青い。
そうそう、誤解のないように。ここに出てくる教授というのは坂本龍一さんのことではなくて、マレーシアから来ていた哲学者の大学教授のこと。このプロジェクトの支柱にもなってる人なのに名まえは失念した。本当にオレ、いろんなこと全然覚えてない。彼とは、その3日前にこんな会話をしてる。これも日記がなければ忘れていた。

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「おまえはここにどういうつもりで来たんだ」。オレはこう答えるしかなかった「ミステイクだった。まだなにも発見できないよ」

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なんてことはない。のちのち「音遊びの会」に参加し「音の海」なんかで経験し発見してきたことの、原石がここにあったのだ。先日PITINでやったサウンドアナトミアで起こってるようなことは、特別なことではなく、少なくともオレの回りには、比較的良く起こる出来事で、ただ、それは作品のような形をしていないだけなのだ。ぼやっとしてたら簡単に見落としてしまう。今北里さんがミクシーで書いてることとも、このへんはつながるように思う。


このことがあってザイはオレの中で、ずっと特別な存在でいつづけた。そのザイがはじめたのが今回のプロジェクト。スケジュール的に厳しいのはわかってる。こんなことしてたら体がもたないかもしれないのもわかってる。最近また右手がしびれてきてる。ツアーのしすぎで頚椎に来てるのだ。でも、彼のやることなら、見てみたかった。参加してみたかった。今の健康な体で、手足の自由がきくうちにやりたいことはまだまだ山のようにある。そしてやる以上は、がっつり四つに組んでみたかった。
メンバーはザイ、オレ、そしてこれまた18年もの付き合いになる香港のディクソン・ディーの3人。

3日間、僕らはホテルにいる以外の時間はほぼ一緒に過ごし、音をだし、録音し、一緒に7回メシを食い(シンガポールは人種の坩堝と言われるだけあって食の宝庫でもある、実に美味い)、そして大いに話した。ザイはマレー語ルーツの島の言葉、デイクソンは広東語と福建語に北京語、そしてわたしは日本語のネイティブだけれど、話すときはみな英語だ。素晴らしい時間だった。喧嘩屋のザイも、そしてもしかしたら当時はよく喧嘩をしていたオレも、なんだかずいぶん穏やかになったのかもしれない。正確には、二人とも怒ってるだけではなにも生れないことを思い知ったのかもしれない。音楽のことだけじゃなく、食い物のこと、酒のこと、それぞれの生い立ちののこと、今生きている日常のこと・・・僕らはそんな話をしながら、南国の気候にあわせて、休んでは音楽をやり、また休んでは食い、呑んでは音楽を作った。ザイの打楽器とギターに歌、オレも打楽器とギター、ときどきターンテーブル。デイクソンのエレクトロ二クスとターンテーブル。なんの種類の音楽とはいえないような、とっても自由な、見晴らしのいい、もしかしたらここの気候をちゃんと反映した、ザイの人生をちゃっと反映した、少しだけトロピカルな、でもある種の厳しさをもった独特の音楽が生れつつある。


こうやってオレはいつも音楽を作ってる。まるで、オレがミクスチャーミュージックのように、いろいろな音楽を摂取しては消費してると勘違いしてる人たちがいるこを知ってるが、オレはポストモダンだかモダンだかなんだか知らないが、そんなわかりやすいオトコの子っぽい文脈にはこの数年まったくなんの興味もなくて、こうしてひとつひとつの人間関係がそのまま反映するような音楽の作り方にこそ興味があって、そのことをひたすら考えて実践してるだけだ。



これをもとに、それぞれが音源を持ち帰り、9月にまた再会することになる。本番は9月17日18日の2日間。場所はシンガポール。もしあなたがシンガポールの食い物に興味があって、ついでに、今東アジアや東南アジアでおこりつつある、こうした新しい音楽の試みに興味があるなら、日本から見に来る価値、充分あると思う。前にも書いたけど、わたしが香港のミュージシャン達と一緒にやりだしてから18年、そのときからずっと夢にまで見ていた、名もつけようのないアジアのこうしたミュージシャン同士の交流が、やっと今本格的に実現しだしてる。そのことが何よりうれしい。



そうそう、これを機に、3年前にやったアジアンミーティングフェスの2回目も今考えてる。時期は10月。詳細はちかいうちに。きっとみなさんにまたお願いすることあると思う。




写真はシンガポールに新しく出来たアートスペース、ポストミュージアムのカフェで。なんだかオフサイトを思い出させる雰囲気です。そして主人公ザイ・クーニン。漁村に育った彼、なんだか海が似合います。